WEB-ATELIER通信

   | Column |  |  |

 

                                                                   コラム更新日2005/12/30 

2006年 今月のコラム 

   

1月  


北欧に行ってきました (前編 環境編)
佐々木先生のプランニング能力のおかげで、今年も文科省の科研費をゲットできました。
今回は、佐々木先生と札幌校の伊藤先生(専門は映像)の3人で、12月3日から12日までストックホルムとヘルシンキへ行ってきました。研究テーマは「
芸術的アプローチによるメディア教育のモデル開発基礎研究」という難解な内容だ。難しいから私にはまだよく理解できていないのだが…。 
リサーチの内容については、そのうちに佐々木先生から報告があると思います。私は、旗振りで付いていったようなもんだから、北欧の街と生活に関しての感想を記載してみようと思います。これはつまり、観光客的目線でってことですね。今回は「街と気候」について、次回は「食い物」について書きたいと思います。

さて、これを書いてるのは12月28日だから日本に戻ってきて2週間が経過している。でも、まだ毎日が「明るい」ということにちょっと違和感を覚えるのです。とにかく北欧は暗かった。以前はぜんぜん感じることも無かったわけですが、毎日太陽が出て眩しいほど明るいということがどれだけ有難いことなのかと、時どきまだ思ってしまうのです。

1、ストックホルムは、
いつも霧雨で夕方だった


 

ストックホルム中央駅
小雨がふりしきる中、ストックホルム駅についたのは夕方だった。
駅舎の壁にはカラフルなライティング。濡れた路面に色とりどりの光が戯れて美しい。


私は、ヨーロッパの都市にある駅が大好きだ。
線路の上に大きく架けられた、かまぼこ型のドームのスケールの巨大さにも惹きつけられるが、何よりも余分なアナウンスがほとんど無いからすごく静かだ。列車は静かに滑り込んで来て、そして黙って走り出していく。改札口もない、チェックがなくても切符は買う。大人の社会だな、と思うのです。


アパートに泊まった
佐々木先生の知り合いの留学生の紹介で、ストックホルムでは短期滞在型アパートに泊ることができた。キッチンには台所用品一切が備え付けてある。これは楽しかった。ホテル住まいとは異なり、なにか自分がその街に根付いて暮らしているような甘いムードを味わうことができた。


アパートからの眺め
私たちの部屋は4階だった。部屋から道路の反対側(中庭側)を見おろすと、建物が複雑に組み合わされ建て込んでいる状態が見える。ヨーロッパの都市は規制が厳しいから、道路側は高さも素材や色彩も整然としているが、一歩内側を見るとごちゃごちゃしているのがわかる。

ネットカフェでメールにいそしむ
いまや世界中でインターネットが普及してるから、どこに行ってもメールも出来るし、日本に居るときと同じ感覚で情報も得ることが出来る。写真は朝の10時ごろ。外は、実際は写真よりは相当暗かった。テーブル上には昼間でもロウソクが燈されている。


ストックホルムに居た3日間、太陽は一度も出なかった。曇り空からいつも降り注いでくる小雨の中を人々は傘もささずにうつむき加減で歩いている。
朝8時はまだ暗くて夜のようだ。9時になると少し明るくなる。でもそれから夕方までズッとそのままの暗さがつづく。夕方は2時半ごろから始まる。気がつけば夜だ。北欧の冬は暗いとは知っていたが、これほど本格的に暗いとは…

12月から2月末までは、寒さはあまり変わらないそうだ、時折寒波が来たときにはマイナス20度ぐらいまで下がるが、通常はプラス2度ぐらいからマイナス5度ぐらい。北欧を旅するのに12月は最悪の季節のようだが、今冬はとりわけ気候が悪いとのことだった。
市街地の中心は、幾つもの島を橋で結んだところにある。「
北欧のベニスって呼ばれてるんですよ」と、案内してくれたアダムが言っていた。


ガムラ・スタン
ここはストックホルム発祥の地。細い路地のような道の両側にみやげ物屋が並んでいる。真冬だというのに観光客でにぎわっていた。夏のオンシーズンだったらどれだけ混雑することやら。


小さな店がずらっと並んでいる。どの店も色彩がとても美しい。
道は石畳だからムードはある。しかしちょっと歩きにくい。車は走っていないからぶらぶら散策するのには適している。

                         

 

クリスマスはどこにいったのか?
ガムラ・スタンにある広場で、クリスマス市場が開かれていた。小さな屋台のような出店が並んでいる。そういえば、12月だというのにあまりクリスマスらしい雰囲気が漂っていないのが不思議だった。家庭ではいつツリーを飾るの?って聞いたら「イブの前日に飾り付けるけどそんなに長くは飾っておかないよ」ってことだった。

ガムラ・スタンを歩いて約1時間。
王宮の脇の広場を港に向かって降りていく。細かな霧雨が降り注いでいる。まだ2時半だというのに夕方のようだ。
対岸の左端に見える3階建ての建物がナショナルミュージアムだったと思う。


ぐるっと回り込んで、逆にガムラ・スタン側を見たところ。建物や船の窓明かりが素晴らしかった。でも、まだ3時前だというのにこの暗さには、まいってしまったな。

 



ノーベル賞授賞式はどこへ行った?
12月10日が授賞式なのに、街中ではノーベル賞のの字も発見しなかった。左写真はグランドホテル。トイレを借りようと入ろうとしたら、案内人のアダムが「私は外でタバコ吸ってるから」と、入るのを躊躇した。我われ3人は平気で入ったが、なにやら警備が厳しい感じだ。見渡してみると、レセプションの左手にもうひとつの受付がある。その背後の横断幕には「ノーベルデスク」と書いてある。そういえばノーベル賞の受賞者が泊るホテルは決まっている。と何かで読んだことがある。「そうか、このホテルだったのか」と少し嬉しくなった。

スエーデンは、これまで侵略戦争もなければ地震もなかったという。西欧世界の激しい動乱の脇で、すくすくと自国の文化を築き上げてきたともいえる。ほとんどの建築物が落ち着いた装飾に縁取られ、ライトやネオンの光、そしてロウソクの暖かな灯りによって、長い冬の暗がりに耐えようとしているかのようだ。

 

ヘルシンキの気候は釧路とそっくりだ


ヘルシンキ中央駅
ランプを手にした巨人の像で知られるヘルシンキ中央駅は、そんなに大きな駅ではないが、なかなか立派なつくりだ。
空港からバスで市内に向かうにつれ、「?」「??…」 町並みが何だか異様に思えてきた。「あれ?フィンランドは元共産圏だったっけ?」


これは駅の正面のビルの電飾。まばらなネオンが点いているだけだった。ヘルシンキ市街は、光の装飾では世界一と言われているのに、なんだこの有様は?と首をひねった。
建物は巨大だけれど、ほとんど装飾されてないものが目立つ。あたり一面暗がりだらけで、街中に空間がありすぎる。昔行ったことがある東ベルリンの町並みに似ている気がした。

この写真は中央駅から300メートルぐらい離れた場所。でも、人は少ないし広い道路にまばらな車。何より不思議なのは、どの道も歩道の幅が通常の2倍もあることだ。
そして、異常に寒い。ストックホルムに較べて若干緯度が違うだけなのに、ヘルシンキはとても寒く感じた。

朝9時半
翌日は、留学生のコマイさんに案内を頼んだ。9時半なのにまだ暗い。
こんなに暗いのに、市民は普通に活動しているのが何か不思議だった。

 



トラム
2両連結の市電。チケットは1時間有効だからっき、その間の乗り降りは自由だ。けっこういろんな路線があり市内観光にも適している。
道路がとても広くて、建物がシンプルなつくりだってことがこの写真でも分かるでしょ。


地下鉄
もうひとつ興味深かったのが地下鉄だ。改札口が無くて、切符を買うのは市民の良識に委ねているのも不思議だったが(タダ乗りが発見されたら罰金60ユーロはあるが)、地下鉄の深さと広さに驚いた。ヘルシンキという街はとても硬い岩盤の上にある。その硬い岩を地下深くまで掘りさげて地下鉄を走らせている。

ホームの天井は岩盤の堀跡がむき出し。そしてこれが片側分のホーム。だから幅はこの2倍あるわけだ。「地下鉄はシェルターも兼ねているんです。、ソ連に攻められた時を考えて作られたんですよ」とのことだった。

 

 

ウスペンスキー寺院
ヘルシンキに着いて3日めの午後、やっと太陽が出た。すべてのリサーチを終えて4日めは市内観光。この赤レンガの寺院はロシア正教の教会。でも19世紀半ばに作られたものだから、西欧の本格的な大聖堂とはくらべものにならないが。

 

ビザンティン様式がベースにあるから、内部には多くのイコンが飾ってある。荘厳な雰囲気だが、祭壇画のど真ん中に描かれた最後の晩餐図が、レオナルドのそれをコピーしてあるのを発見し、笑ってしまった。

 ●今回撮影した2500枚ほどの写真の中で、唯一満足できた写真がコレ (見る▼)

 

マーケット広場
観光客が必ず行くというのが南港に面したマーケット市場。寒空にもかかわらず、市場が開かれていた。物価は東京より高いかもしれない。なにせ消費税が多くの物に22%(書籍は6%)もかけられているから大変だ

 

港に係留してある帆船は実用では無いように見えた。
港の一部には薄氷が張り始めた箇所もあった。
案内のコマイさんによると「ヘルシンキの冬は釧路と良くにた気温だと思うよ」ということだった。
連日1万5千〜2万歩あるいたから、「外歩きは、これ無しでは大変だったね」と、3人とも
モモヒキを穿いて寒さに耐えた。

ヘルシンキ大聖堂
大階段を上り詰めた上にある白亜の教会。れも19世紀半ばに建てられたものだから歴史は古くないが、ヘルシンキのシンボル的存在だ。ちょうど結婚式をやっていたから中には入れなかった。内部はシンプルなつくりだったから、プロテスタント的なのかな。

テンペリアウキオ教会
35年ほど前に作られたルター派の教会だが、現代建築といって良いもの。
どうしても見ておきたいと思っていたもので、帰りの出発日の朝、見に行った。岩山をくりぬいてドームを架けたもので、評判どおり一目みてその凄さに圧倒された。

ヘルシンキはつくづく不思議な街だと思う。
最初は、実用本位の質実剛健、飾り気なしの共産圏みたいな街だと思った。それに加えて寒い・暗いということもあったろう「こりゃ、どうにも我慢できない街だな」と思った。
しかし、最初の悪印象も日を追ってすこしづつ変化していった。
建物を照らす照明に工夫が凝らされていることが、だんだん見えるようになってきた。
そして、よく見てみると現代建築物は存分にしゃれっ気を持っているものが多いし、人が少ないという印象も変化した。どういうわけか日ごとに街中の人が増えていったように感じた。
この感じ方の変化については、私だけじゃなくて、佐々木先生もそう言っていたから不思議だ。
ストックホルムが街として「出来上がりすぎた街」だったから、それとの比較でヘルシンキの町並みの特徴が増幅して感じられたのかも知れない。
なにせスエーデンが王制なのに対して、フィンランドは社会民主主義だから、体制の違いは大きいね。
とにかく、ストックホルムにしろヘルシンキにしろ「
住むのは大変なところだ」と痛感した。
真昼間から鬱々として暗いという自然環境は、正常な感覚の者でも「
うつ病」になってしまいそうな気がした。
ヘルシンキは、アル中率と自殺率が異常に高いというのもうなずける。かつて北欧人が、ヴァイキングとして西欧へ進出したのも、おそらくこの気候のゆえなのだろう。今でも、金を稼いでリタイアした人たちは、暖かなスペインあたりで余生を過ごすことを望むという。

北欧の冬は、
ムンクの「叫び」の世界なのだと思った。暗がりの中、背後から何かが忍び寄ってくるようなそんな脅迫感を、私も時折感じることがあった。ムンクの悲劇は北欧に生きる人間としての正常な反応だったのかもしれない。
釧路の冬はとても寒い。しかし、太陽の光だけは十分にある。それだけでも私たちは恵まれた土地に生きているのだと感じた。


                             <前編 完了>