WEB-ATELIER通信

 HOME   |  | | 

 

                                                                  コラム更新日2006/1/26 

2006年 今月のコラム 

  

 今年の冬は格別寒い

日本海側の大雪も異例だが、釧路地域の、連日のマイナス15度超過も久しぶりだ。
私が釧路にやってきて最初の冬。マイナス26まで下がったことがあった。当時は最高最低温度計で毎日きっちりとグラフを付けていたから正確な記録だ。
銭湯からの帰り道、濡れたタオルや洗い髪のすそがバリバリ凍り、鼻毛と睫毛まで凍ってきて、すごく悲しくなったことを思い出す。近頃は、そんなに寒い冬も少なくなってきた。
しかし、今年の冬は久しぶりに「酷い寒さだ」
灯油類の高騰のせいもあるのだが大学内も相当寒い。教室棟は、暖房費倹約のため例年より1時間早く通気を止めるから、夕方の一般教室での授業が寒いことこのうえない。
私が釧路にやってきた頃のアトリエの寒さを思い出した。
旧校舎では、窓ガラスが割れていたから、冬の朝にはアトリエのバケツの水が凍っていた。学生たちは毎日9時すぎまで残って制作していたがドテラを着たり重装備だった。
あれから25年。
今は、アトリエもMAC室(演習室)もガスストーブが完備され、下宿にいるよりも暖かいのかもしれない。
先日、内地出身の1年生に尋ねてみた。
「寒いだろ」
「ハイ」
「水道は凍らないか?」
「下宿はコンクリートだからけっこう暖かいです」
「ソウ… 以前は水抜きしてても水道が凍ってしまった学生もいたよ」
「…ヘエ…?」
いかんナ。歳くうと昔話ばかりになってしまう。
兎に角、昨年までは、ほとんど穿かなかったモモヒキを、今年は手放せなくなってしまったことがとても悲しいのです。

リスニングテストが始まった
今回はじめて、センター試験でリスニングテストが実施された。全国的には450名程度の再テストが実施されたという。釧路公立大では再テストを実施したというが、釧路校ではトラブルもなく完了した。無事におわり監督官は皆ホッとしたのであったが、そのための準備は大変だった。
試験日の一週間ほど前、リスニングテストの監督者など30名が集められ、「予行演習」を実施した。
監督官みずからが受験者の役割となり、説明マニュアルに沿って配布された機器を操作してみたのだった。
機器は、メモリースティックを使うICプレーヤーとはいうもののものすごくチープなしろものだ。名刺サイズに3つのボタンが付いているだけ。マニュアルどおりに読み上げられる手順に沿って、皆さんおとなしく操作した。
次に、トラブルが生じた際の対応シミュレーションを行った。その役割をになった社会科の○○先生が、挙手すると監督官役の先生が急いで近寄って問答シートを差し出す。○○先生は該当するトラブル内容をだまって指差す。それ以外の内容は筆談で行えということだった。しかし、そのあたりの手順がスムーズにいかない。つい声が出てしまう。
「うーん、これは難しいな」と、みなさんからブーイングが出た。しかも、幾人も手を上げられたらどうしたらよいんだろうか、それこそ監督官がお手上げになってしまう。いろいろ疑問点が出てきた。分厚い注意事項の中から対応箇所を探しだしたりスッタモンダした。
結局、「受験生の方がトレーニングしてるだろうから、何とかなるだろ。」ということになったが、わずか30分のリスニングテストの予行演習に30名の教員が雁首そろえて、なんと3時間もかかってしまった。
さて、試験当日。私はタイムキーパーという役割だった。
この役割は、受験生と一緒に機器を操作して、途中でトラブルが生じた場合には、それが何問目の時点に生じたかをメモするという役割だ。だから、まったく受験生と同じ行動をする必要があるわけだ。
はじめの頃の問題は簡単だった。しかし後半になるとだんだん難しくなり頭がいたくなってきた。耳で聴いた内容と、ペーパーに記述してある問題文と選択肢とを照合させて答えていくというスタイルは初めての体験だった。だいたいラジオ英会話初級の後半程度のレベルかな、と思った。
使用したプレーヤーは受験生が持ち帰って良いことになっていた。IPODだったら皆さん喜んで持ち帰るだろうが、学習雑誌のオマケみたいな、こんなチンケなもの置いていくだろうと思っていたが、ほとんどの皆さんが持ち帰っていった。
すべて入念にチェックされていたというが、55万台も用意され、30分後には用無しとなってしまう機器の行方を思うと、壮大な無駄遣いとしか思えないのだが。
こんな試験を今後も毎年行わなきゃならないのだろうか、憂鬱にさせられる。

     北欧に行ってきました(後編 くいもの編)

これまでの海外旅行で、私が一番困ったのが食べることだった。
どこで何を食べたら良いのかは、一見簡単のようだが実はすごく難しいことなのです。特に一人旅だとフランスのレストランあたりだと、時系列タイプだから食べるものが時間をあけて順に運ばれてくる。だから、話し相手いれば良いが、一人だと時間をもてあましてしまう。
それ以上にメニューを見ても良く分からないということと、チップをどうしたら良いのかもいつも悩みの種だった。
しかし、今回は会話力ある佐々木先生とカナダ在住歴7年の伊藤先生がいたから、私は大船にのったつもりで快適な食生活を味わえたのです。そして、おかげでメニューの見方や注文の仕方、チップのあげ方など、レストランでの食事の基本的な手順をはじめてまともに理解することができたのです。


出発前に、成田で肉うどんをたべました。当分日本食が食べられないとなると、やっぱり私はうどんをたべておきたい。
朝食兼用なのだけれど、機内食がすぐにだされるかもしれないから、ほどほどにしておかねば。その兼ね合いが難しい。

出発後1時間ぐらいに一食目の機内食がでた。よくもこんなにコンパクトに料理をまとめられるものだと、いつも関心してしまう。
今回のフィンランドエア「ムーミン便」(ほんとの名前です)では、フォークとナイフが金属製だった。これまで乗った他の航空会社はすべてプラ製だったのに。搭乗前の、あの厳重な持ち物チェックはいったいなんだったのか?と思ってしまう。

▼ストックホルム初日
 夕食はチェコ料理のパブ
北欧ではアルコールがすごく高い。ビールなんかなかなか飲めないよ。と、いろんな人から聞いていた。どっこい、アダムが連れて行ってくれたパブでは、旨いチェコビールが普通の値段だったので、拍子抜けした。

アダム曰く、「パブやレストランでは日本と同じように飲むことができるんだ。でも酒屋で買うのは値が高いから大変なんだ。アルコール度数が4%より上の酒はスーパーじゃ売ってない。スーパに売ってる低アルコールのビールも販売は夜9時までだよ」

「アル中」防止のためのいろんな手が考えられているようだ。

チェコ料理は、肉類と野菜類がほどほどに組み合わされた、一見健康的なメニューだった

▼アパートでの朝食の様子
北欧デザインのスマートな食卓
アパートは建てられて百年たつという。でも、ペンキが幾層にも塗られ、必要な改修が施されてるからすごく機能的で快適だった。
家具も食器類も、すごくシンプルデザインだ。
朝食は、シリアルとヨーグルト、黒パンとコーヒー。いずれも前日にスーパーで買っておいたもの。

朝食の後、ネットカフェで紅茶を飲んだ。15クローネ(200円ぐらい)だというので、豆のスープも頼んだら、写真右側の馬鹿でかいカップ+パンが出てきた。えらく安いし旨いなと感激した。
帰り際、ウエイトレス嬢に金が足りないと呼び止められた。15じゃなくて50クローネ(700円)だということだった。フィフティとふぃふてぃんは、すごく間違えやすい。英語の数字は注意が必要だ

▼2日めの昼食はアラブ料理だ
「昼食はアラブ料理を食べに行きましょう」、一見デリカテッセン気味なスタイルのお店にアダムが連れて行ってくれた。
店員の兄ちゃんが、次から次へと盛るわ盛るわ

みるみるうちに、左写真のような、えたいの知れぬ野菜やら肉やら山盛りができ上がってしまった。これでも、食べきれないと思ったから、まだまだ積み上げそうな勢いの兄ちゃんにストップをかけた。この山の中にあった、クスクスとかいう粟の煮たものを初めて食べたが、まずかった。


「野菜がイッパイだがらとてもヘルシーね」
アダムの言葉にそそのかされて他の2人とも「完食」 でも私は「無理!」と言って、だいぶ残してしまった。

あとで佐々木先生は、「あんなに食べるんじゃなかった、具合悪い」
しばらく苦しげな様子だった。

▼2日めの夕食はインド料理だ
「こんどはカレーを食べにいきましょう」
午後、けっこう歩きまわったあとだから昼のアラブ料理も消化されていた。
一面に書かれた細かなカレーメニューのなかから選ぶ。写真うつり以上に、ものすごく暗いからなかなか文字が読めない。

けっこう内容に変化ある本格版のカレーだった。佐々木先生は、左上のでかいエビがそえられたえびカレーだった。でも、アラブ料理のダメージが残っていて、たべきれなかったよ…とのことでした。

▼3日めの昼食はサンドイッチ
美大リサーチを終えたあとで、アダムと待ち合わせした。夕食はレストランに決めてたから、お昼は軽くすまそうね、ということでクロネコキャラクターで名の知れたサンドイッチのお店に連れて行ってくれた。あちらの人々はパン食メインだけあって、さすがにサンドイッチづくりはこじゃれていた。

▼3日めの夕食は
   いよいよ本格的スエーデン料理だ
「アダム、スエーデン料理を食べに連れてってよ」
そう言うとアダムは、「うーん、スエーデン料理って言っても特にこういうものがそうだっていう料理は無いんだよね。それに、あんまりオイシクないし…」最近はヨーロッパではどこの国に行っても、多国籍料理化していて、いろんな地域の料理が混在しているが、スエーデンも同様のようだ。

で行ったのが、左写真のような気さくに食べられる中レベルのレストランだった。メニューはスエーデン語と英語が併記してあるから、どんな中身なのかは、なんとなく推測はつく。アダムがメニューの中身を懇切ていねいに説明してくれる。ビールのみながら、結構時間をかけゆっくり選んだ。

結局ここでは前菜とメインには各自が肉か魚のどちらか一品をたのんだだけだった。メイン一品だけだっていいわけだし、ワインもビンとカップとがあるから、結構自由度が高いってことがわかった。

レストラン内部は、すごく暗いから料理の写真を撮るのがすごく難しい。左はブレずに撮影できた前菜の一品。上品だった。

私は、サーモン云々というのがどんな料理なのか興味があった。で、出てきたのがこれ。
ドーンという感じの白サケの蒸したもの。やっぱりサケは料理方法があまりバリエーションが無いのかもしれない。普通のサケだった。ただしソースの作り方はよく出来てたと感じました。

これ一皿で1700円ぐらいかな。けっこう料理はすべてお高いのです。まあ、東京で食べるのと同じぐらいの感覚かな。

▼ここから先はフィンランド料理だ
ヘルシンキに着いた夜の食事。ガイドブックにも載っていた駅近くの大きな大衆レストラン。

出てきた皿がコレ。
「おおー、これは… なんと大胆な… 」

鮭の何とか…」という料理は、
やっぱりサケの切り身「
どーん」だった。
しかも、ここでは丸のままのふかしイモもドーンだった。

私はストックホルムにて、サケはどうせ「どーん」料理だろうと見切りをつけてたから、「白身魚フライの何とかソースがけグリーンアスパラのなんとか」というメニューを頼んだのだった。昨年ロンドンで食べたフィッシュ&チップがすごく旨かったけれど、ここの白身魚もやはり旨かった。

トレイに乗った盛り合わせの皿。これはUIAH(University of Art and Design Helsinki)の食堂で食べたもの。いわば学食みたいなものかな。ちょうどこの日は、「マメのスープ」を食べる日だということだった。右のカレーみたいなのがマメのスープ(なかなかおいしかった)。真ん中の皿は何も入っていないお好み焼きみたいなもので、味はちょっと?という感じ。

この昼食は、左のTarjaさんのおごりだった。
TarjaさんはUIAHの教授で、とても愛想の良いおしゃべりおば様だった。
私は一見わかったような顔をしてるけど、実は話の内容はあんまり理解できてない。

今回の旅行の中で、最もステキだったのが、ヘルシンキの目抜き通りにあるAINOってレストランだった。下の写真は、4人で行ったときのそれぞれのメニューだ。
右上は私が頼んだ「野鴨の何とか」、右下は「トナカイの何とか」だった。鴨はけっこう野生の香りがしたが旨かった。トナカイは鹿肉をもっと臭くした感じだった。

元大学教授のLiisa Piironenさんのお宅で、軽い昼食をいただいた時の写真。ステキなお宅だった。

最後の夕食は、ヘルシンキ駅の近くのちょっとしゃれたレストンだった。真ん中の黒いボールはムール貝のクリームスープ煮。これはメニューには無かったのだが、食べてる人がいたので、あれが食べたいって言って作ってもらった。ムール貝は味気ないものしか食べたことがなかったが、これはとてもおいしくて感激した。

帰りの機内に乗り込み、シートを探して驚いた。
「おお、3人ともビジネスシートじゃないか!」 
狭いエコノミーシートじゃなくって、手元にはプライベートモニター付き、ののびのび足が伸ばせるらくちんシートがあてがわれたのだった。
二度と乗ることはできないかもしれないからと、満面の笑みで写真に撮ったのだった。

          < おしまい >