WEB-ATELIER通信
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                                                                     コラム更新日2005/04/25

20055 

        今月のコラム    

4月には、別なところで写真をつかいすぎたので、ここに載せるものがありませ〜ん。

  
  新入生の季節
だが 桜は、いつ咲くのだろう?



今年の4月は、なにかすがすがしい。
気候が安定してることにもよるが、何よりも私自身が、会議に追いまくられてないからかも知れない。

今年も大漁だ!!
月14日。今年の美術科への新入生が決定した。
新課程=造形文化が

教員課程=美術教育専攻が

合計ナント
13
この数は昨年同様とはいうものの、
十数年前ならば
2学年分に相当する。
この結果、
4年生12名(過年度生2名を含む)、3年生12名、2年生12名となり、院生2
名を含めると、
な…なんと
トランプの数と同じ
51名だ


教員養成課程=美術教育専攻へのイバラの道  
6
入学式当日には、教員課程の新入生の所属希望(予備調査結果)が掲示された。
高校の後輩と一緒のミッチーと廊下で出会ったとき
「今年の美術の第一希望は、推薦で決まってるこの人だけなんですヨ。あとは第三希望に2人だけなんですヨ」
ミッチーは悲しそうにそう言った。
「去年は
名もいたのにね」
「昔も全然いなかったこともあるし、そういうこともあるよ」
「しかたないですね」

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午後は、所属決めのためのガイダンス。新入生は、第一希望から第三希望まで、専攻の説明を聞いてまわる。
第三希望時のMAC室。
加藤・二上・佐々木・新井
4名が、ボーッとして待っていた。

「…やっぱり、来ないね。」
「来ないですね…」
「もう店じまいしようか…」
「そうしましょう…」

・・・・・
「あのオ…」

「オッ…美術か?」
「いらっしゃいいらっしゃい」
「待ってたんだよオ〜」

1、第2希望が結構いっぱいだったからと、
不安げな
名がやってきた。
佐々木先生が優しくガイダンスした。
二人のうち、一人ぐらいは来るかもね。ということで、再び店じまいしましょうということになった。
・・・・・
「あのオ…」

「おッ 何、美術か? 」
 
また、二人来た。

このふたりは、第三希望を聞きにいき、その後さらに美術をのぞきに来たという。ということは第四希望ということになるな。
この二人は、予備調査票には美術を含めなかった人たちだったのです。
「他がだめだったら、美術は空いてるから来ればいいよ。入れるよ」
それを聞いて、不安げな顔つきだった二人は、明るさを取り戻しつつ帰っていった。
その結果こうなった。
第一希望1名、第二希望、第三希望2名、第四希望2
ということは、
    
「ウ〜ン、今年は3名だな」
        皆の一致した読みだった。

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第一希望にあぶれた39の学生が一同に集められ、まだ空きがある専攻への所属決め作業が行われた。その場面ではなんと7名が美術科に決まりそうになった。

例年、事前に所属受け入れ可能数というものを設定しておくのですが、美術科はいつも6名を上限として受け入れ可能としていたのです。実際のところ、デッサンや絵画や彫塑の実習には最大でも12名ぐらいが限度なことは、みなさんご承知でしょう。すでに新課程の7名がいるのですから、そこで、何とか6名に抑えてもらったのです。
今年は、ひょっとしたら、一人だけかもね?  
が、結果的には大漁6名。
世の中なんて、
こうした例同様、先行きはわからんもんだ。

最後の新課程学生を迎えて          
生涯教育課程社会教育コース造形文化領域
すべて羅列するとずいぶん長い専攻名称になる。
平成11年に最初の学生募集を行って以来、わずか7年で終結することになった。
文部省いわく、国立大学が養成する教員数が多すぎる減らせ。でも、必要になった時また戻せるようにネ。
教員免許は義務付けないけど教育学部の定員枠には入れとくからネ。
というわけで設けられたのが新課程だった。

最初の1・2年は、入学者・大学教員双方とも、なんだか良く分からないというのが正直なところだった。
だって、新たな課程を増設するのだから授業は別なものを新設しなさい、ということだったけど、授業内容は似てるようで違ったり、違ってるようで同じものもあった?? 
そして、大学の教員数は増やしません!だったから、私たち教員の授業負担は単純に増加した
*註1)
たしかに、美術科の学生数は倍増することになったからそれ自体はけっこうなんだが、担当授業も増加した。

かつての美術科といえば、
一学年たった
の4とか、平均67名というのが相場だった。でも、新課程ができてからは、新課程7名プラス教員養成の計画養成数3名が義務付けられたから、毎年かならず十名以上となった。

4学年合計の概数でいえば、それまで30名だったものが50名になったといえば良いだろう。
しかも研究棟の新設の際に施設面積の新規割り振りでは、
30名規模で計算されてたから、アトリエや演習室に美術専攻生があふれかえることになった。

書道演習室側の廊下をふさげば廊下の面積をプラスできるからと、アトリエを壁なしのオープンタイプにした。少しでもアトリエのスペースを稼ぎ出そうとしたのだが、音楽の学生のルートを研究室側廊下へ迂回させられなかったから、結局にぎやかな通路のままだった。

わたしたちが良かれと考えたことが裏目にでた。
「居づらい」「落ち着かない」と、
アトリエには閑古鳥が鳴くようになった。
美術の学生は大学に自分の居場所がなくなってしまった。個人が占有しうる制作スペースなんか無くなったから授業が無い時間は下宿に帰ってしまう。下宿で制作するものはスケールの小さな作品ばかり。悪循環がはじまってしまった。私が、デッサンや絵画実習の担当から離れざるを得なかったことも含め、とにかく、この
7年間というものは学生たちには申し訳なく、謝らねばならないことばかりだったように思う。

 でも、そうした新課程の学生たちも次第に要領を得て、資格取得に生きがいを見出すようなってきた。
中・高学校美術教員免許はもとより、
学芸員資格は軽くいけるぞ。
図書館司書資格もとってしまえ。
えい、ついでに
小学校もいてこませ! と。
制作活動はほどほどに、自分にメリットとなる、それなりの活動に勤しむようになった。

しかし、免許取得の仕組みが複雑で分かりにくいものだから、エイっ。とにかく履修表に載ってる授業は何でもとってしまえば何とかなるだろうと、メクラ滅法履修して、170単位はあたりまえ、20単位オーバー学生が続出したのには、まいってしまった。

さて、今年の入学者に関していえば、「私は最後の新課程」という悲哀感はいまのところ無いようだ。
キャッキャと明るく過ごしている。
年になった頃、同僚が減ってきたときにだんだん寂しくなるかもしれない。
でも実際のところ、国の教育政策というものは
いつでも不確定・不安定なものなのです。少し過疎地に育った人ならば身に覚えがあるでしょう。小学校は統合され、廃校ののちに何とか地域センターになって建物だけが残ってるとか、高校は学区編成が変わったり、生徒数の増減に応じて、東西南北の名前の高校が出来たり潰れたりしてる。
実は私も、自分が巣立ってきた学校のことごとくが消滅してしまった、
悲しい過去を持っているのです。
私が生まれ育った土地は愛知でしたが、地元のTVの天気予報の際には「三河山間部」「奥三河」と呼ばれていました。
なんとなく
ひなびた寂しい響きがあるでしょう。谷間の一本の川沿いの両脇にへばりついているようなわずかな平地に、人口1500人ぐらいがひっそり生きている土地でした。
私が出た小学校はまもなく統合し、それまでの中学校の建物が新たに小学校となりました。中学校も町内全域を統合して別の地域に新設されちまった。高校は学区変更で、同名の高校は残っているけどずいぶんランクが下がってしまい昔の面影なんかありゃしない。そして圧巻は大学だ。私の出た大学はスクラップ&ビルドで、
消滅してしまった

大学が消滅していく姿には、まことに悲しいものがありました。先生は「ビルド側大学」から「スクラップ側大学」へ出張してくる気分のようだった。生協や学食がしだいに閉鎖され、図書館に行くたびに本が減っていき、そしてついに閉鎖。年毎に在校生が減少し、教室は空き室ばかりになっていく。学寮では4人部屋にひとりずつが住むようになり(これは快適だったけど)、サークルも部長と副部長のふたりだけになっていくことの寂しさ*註2)

最後の新課程」の皆さんへ         

教育政策というものはいつの時代も不安定なものです。皆さんは課程がなくなるだけで大学がなくなるわけではありません。たくましく免許や資格をかき集めていった学生たちのように(それが良いことだとは思わないが)、大学の体制とは別に、学生自身は自らの利益を求めて雄雄しく生きていけばよいのです。

やっと就職状況も好転してきたから、今年の入学生が卒業するころには就活もやりやすくなることでしょう。
でも、民間の就職活動が動き出すのは
3年生の秋からだから、
新入生だとはいえ、あと2年半しかない
しかも今年からは新課程むけの開設科目は、次々に終了していくから、必修科目はひとつも落とせない。とりこぼしや、来年があるさってことは許されない。
「まあ〜 何とかしてくれるんじゃないの〜 」って思ってる人もいるかもしれないけど、こればっかりは何ともならんから、必修科目をひとつでも落としたら中退だって覚悟しながら授業をうける姿勢が必要だ。
単位を落とさないコツは
(1)
欠席扱いを避けることと、
(2)
提出物をきちんと出すこと、
それだけ守れば大丈夫。「全部出席、全部提出」。この
2点が確保されてれば試験の点数がそうとう低くても勘弁してくれるもんだ。ただし成績は「5」がつくこともあるけれど。

欠席なんだけど強引に出席扱いにしてしまう方法もある。理由がある際にはきちんと事前に欠席届を出すことはノーマルな方法だけど、携帯が普及した現在では、友人との連携って手もある。急な欠席の際の代理連絡っていう手もある。(○●君は今日、体調悪くて…ということを伝えてほしいといってますので…)
もし、うかつにも欠席してしまったら、翌日にでも出向いて、理由を正直に話して、れぽーと出すとか、ゴミ捨てするから欠席扱いをかんべんしてください、今後はもう休みませんって懇願するとか、知恵働かせてすぐにアフターケアに精出すことだ
*註3)ホッテオクノガ一番いけないそれができるくらいなら単位をおとしてませんってこえも聞こえるが)

いまの在学生にも、ぼろぼろ単位を落としてる人が3名ほどいるけれど、かれら彼女らに共通してるのは、いずれも「だらしない」軍団だってこと。
生活自体にけじめが無くって、思いつき、気分で生活してるから授業も欠席してしまうし、まあいいさで、ほっといてしまう。

今年の新入生にはそんなことが許されないから、
よ〜く注意するよ〜に。

                                                                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 



福井せんせいはその後
釧路短大に勤めているようです。
釧路校には2本、
非常勤をお願いしてます。(今年だけ)

先日、トドウ君から、
「あの、福井先生の単位が2本(3単位)
まだ出てないんですけど、これはナシですか?

ウッ!そんなことがマダ…
で、福井せに確認したところ
「だれかが、かわりに出しといてあげればいいでしょう、よくあることですよ」だって。

よくあることじゃないことだヨ。
まったく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第一希望ではなくって美術に所属することになった皆さんは不本意でしょうが、
大丈夫、
どこに所属したってあんまりかわりませんから。
昔に比べると、
教科免許取得が相当楽になってます。

美術に所属して国語の免許もとったり、
逆に、国語に所属して美術の免許とっりした人もいるわけだから。

(あくまでもそういう人もいましたケドっていう例を言ってるだけですよ。奨励はしませんけど)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


*註1)私の場合には、「地域文化教育演習U」と「地域表現実習T」の2本が増えた。

2年経過してからのこと。
高校免許取得のためには、別に8単位とらせなくてはイケマセン>という、恐ろしい解釈が事務サイドから浮上してきた。
で、
履修表に載っている新課程の授業数
では、満たせないという事態になった。
で、
開講未定・担当者未定として寝かせておいた「造形理論X」2単位と8単位バラ売り、セット売りいずれもOK牧場の「造形理論演習T・U・V・W」を新設し、
両方の授業を私がやることにした。
ここまでで、
ナント、単純計算では7本増加だ。

さらに今年は、
福井せんせがぬけた部分の後処理として、「イメージ表現技法」と「地域なんとか実習UB」も、今年限りだが行わなきゃならん(授業名すらすぐには思い出せない)。

全て含めると
9本増加だ。
で、
一番最後の実習だけは、まだ内容のメドがたってないけれど、
全部の授業をキッチリこなしてるぞ、私は


でも、
さすがにもうこれが限界だな。
授業をふやすこと自体は自分自身も勉強する機会が増えることになるから、いやじゃないのだが、
私は、
もともとは「西洋画」担当ってことで、この大学に来たんだぞ。私は、絵の描き方を教えることが、実は本業だと思うのですが…??

デジタルビデオカメラ買ったら、
デジカメも付けますよ。
おまけに、フイルムカメラも付けましょう。
さらに、今回限りの大サービス
DVDプレーヤーまで差し上げます。
とかで、

最初に自分が何を買おうとしたのかわからなくなっちゃうTVショッピング番組みたいで、
なんだかむなしくなってきた。

新課程が維持しようがないってことが
おわかりかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*註2)私は6年間写真部だったんだけど下級生は、たった一人しかいなかった。だからズット私が部長で彼は副部長だった。その副部長は、教授から「学習院初等科」の図工専科の口をもらった。
卒業数年後に会った時
「いやあ、盆・暮れには、もらい物で押入れがいっぱいになっちゃうんですよ。」
って言ってやがった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


*註3)研究室のワックスがけしまひょか、ってのは魅力的だな。

 

 

 

     
     


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