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 ●過去のコラム                                                                      コラム更新日2005/08/28

2005年 9月 

    
     
  今月のコラム    


    初秋のころ

写真上:8月28日撮影
朝5時少し前。朝もやが漂う。


 夏のおわり 
七月中旬の冷涼な気候とはうってかわり、八月は「暑い夏」だった。いつもならば、15日頃の盆踊りは、ひんやり涼しくてビールを飲むのもチョット、という感じなのだが、今年はまともな納涼ボン踊りだった。
北海道の子どもたちの短い夏休みが終わるころ、今年は、まだ夏の盛りだった。でも、八月下旬ともなると、朝晩は半ズボンでは過ごしにくくなってきた。ところで私はまだまだ夏休みのド真ん中だ。

 うれしい勘違い 
八月末日は大学紀要の締切日だ。
あっ、急がなきゃ! と、大焦りで論文に取り組み始めたのが
18日だった。

8月に入って、すぐ札幌に出かけとんぼ返り。
それからビッチリ2日間の十年研修。
2週目はもう一度札幌へのとんぼ返り。その後で内地からのお客さんを案内したりした。
そのあとで奥さん寝込んでしまったから看病。

そんなこんなで、締め切りに気づいたのが18日だったのです。原稿の仕上げと確認のために5日程とるから、実質的な締め切りは8月26日になる。本当に、急がなきゃ!

久々の原稿書きだ。
今年は、2月と4月に各1本書いたから3本目になる。
一週間で仕上げちゃうなんてイイカゲンな…
って思う人もいるでしょうね。これまでの最短記録は4日間だったけど。
とはいっても、今回の内容は2年前から考えていたのです。だから、2年間寝かせた内容をまとめ上げるのが一週間の執筆期間になるのです。
思い起こせば、かつてエアブラシで地道に制作していた頃、
100号を仕上げるのには約2週間、最短ではやはり4日間だった。もちろん一日14時間ぐらい作業するから50時間以上かけてるわけだけどね。絵でも論文でも、やはり4日ぐらいが限界かな。

今回の内容は、学生レポートの美術感想文の分析ダ。
絵を見て感想文を書くことはあまり行われていないようだから、ここはひとつ美術感想文の鑑賞教育方法への利用の可能性を、ってことでまとめようと考えたわけです。まあ、学生レポートを分析しなおした「レポート」と言えなくもないんだけどね。

@日目
まず図書館に行き調べる。「読書感想文」関係と、シラーの「美的教育」と、芸術学でいう「美的性質」、それから「メディア」関係。4時間ほど調べてメモする。メモし切れなかった6冊を借り出す。
それから2時間ほど本を読んだ後、学生の感想文の内容を5時間ほど分析する。
A日目
とりあえず考えた結論からさかのぼり、タイトルを考えた。
「美術感想文による鑑賞力トレーニングの方法」
午後、やっぱりとりあえず書き易いところから書き始める。
2ぺーじ分ほど書くのに4時間もかかり、ダウンする。
でも、くじけない。いつもとっかかりはこんなもんだ。体力トレーニングでも初めの20分間はキツイけど、それを超えると脂肪燃焼に変わるから楽になるもんだけど、原稿書きもキツイのは最初だけだ。その後再度、本を読んで勉強する。
B日目
最近は、朝目覚めるのは4時すぎぐらい。朝食前に考えた。「トレーニングの方法論」まで持っていくのはしんどいぞ。だいぶ弱気になり、「教育方法としての美術感想文」 と、あいまいにして、副題で「…内容の分析」とでもするかと、相当範囲を狭めることにした。
今日は、とにかくひたすら書く。学生の感想文を打ち直し、文に区切って分類していく。夜中まで、ただひたすらタイピングして分類を考える。
C日目
朝4時から午前のあいだ、やっぱりひたすら分類してタイピングする。午後は家庭サービスのため作業中断して釧路へ。帰宅後夜半まで分析作業継続。
D日目
朝、教育実習の引渡しあいさつに北陽へ行く。その後、健康診断受けてバリュームでお腹一杯の中を午前中2つの会議、午後は教授会。会議から開放されたのは4時過ぎだった。全体をまとめる方向性が相変わらず不明確だ。もう一度図書館で資料探し。
E日目
大体の材料もそろい、本文に取り掛かる。でも、どうもうまくツナガラナイ。うーん…うーん と、うなる。
あ、そうだ、とても良いタイトルを思いついた。
「鑑賞教育方法としての美術感想文の可能性(1)」とし、副題を「感想内容のタイプと美術感想文のスタイル分類」として、「分析」そのものをテーマにしちまえばラクチンダ。しかも、残りは「以下、次号」とすれば、結論が無くても大丈夫だ。
さあ、ここからは
一気に快進撃だ。
F日目
近頃は、パソコンを使ってポスターやチラシを作る時、あまり考えなくても自然に出来るようになってきた。キャッチコピーや写真など、ひととおりの材料が揃っていれば、なんとなく出来てしまう。文字や写真を大きくしたり小さくしたり、適当に並べ変えたり、そんなことをやってるうちにいつのまにか仕上がってしまってる。
論文を書くときも、やっぱり同じだと思う。集めた素材を目の前におき、あちらこちら並べ替え、ゴチョゴチョいじっているうちに、全体が自然に組み立てられていく。結論部分が前段に飛び出してきたり、全く違ったポイントが浮かび上がってきたりする。
最初はモヤの中を手探りしてるような感じで、すごくもどかしい感じなのだが、4〜5日の間ビッチリと思考を集中してると、一気に霧が晴れ渡り、「そうだったのか」と目覚める時が来る。
アア…今回の論文で、私が言いたかったことは、実はこういうことダッタのネ!と、あらためて自覚する瞬間が来る。その時はすごく幸せ感に満たされるのです。
そうなると文章書きが
俄然楽しくなる。取り掛かりのころには進まなかった文章も、どんどんスイスイ書けるようになる。
そして、図版とグラフ、それから註をのこして、
本文完成だ。さあ、これでもう出来たようなもんだ。
予定通りの仕上がりだ、どんなもんだい!

26日午後、大学に行き、投稿申込用紙をダウンロードした。
原稿執筆要項を確認し、応募規定に目を通す。
「投稿締め切りは毎年2月と9月の末日とする。」

ン…?
あれ、
9月
あ、一ヶ月間違えてた

この3年ほどは、大学紀要に投稿してなかった。だから、てっきり八月末が締め切りだと勘違いしていたのです。
うちの奥さんには、26日締め切りに間に合わせるから、家庭内のお仕事や手伝いはそれまでカンベンしてネ。と言っていたから。27日になったら、こう言われた。

「ネエ、論文終わったんでしょ。手伝って欲しいことがあるんだけど…」
「ウン…」
「終わってないの? どっちなの!」
「ああ、だいたい終わったよ…」
「そうなの?なんかはっきりしないネ…」
「仕上げがまだなんだ…」
「…」

実は、締め切りを間違えてたなんて、あんまり情けないもんだから、いい出せませんでした。

特別編         
私の道央移住大作戦
その1

今から1年半後の平成194月。
これが私の、釧路校/岩見沢校の切り替えの時期だ。

勤務所属の面では、すでに今年の4月から両校併任という位置づけになっている。今は釧路校所属で岩見沢校が併任。194月からは岩見沢校所属で釧路校が併任と、所属が逆になる。そして213月には新規所属校に完全移行するわけだ。

これまで岩見沢校には、一昨年春に会議のため一度だけ行ったことがある。その時には、JRの駅からタクシーで岩見沢校へ直接向かったから、街そのものも周辺も、どのようになっているのかは分からなかった。
今年夏休みに入った頃、そろそろ何処に住むのかを考えなくてはいけないと行動を開始した。札幌から車で向かい、初めて岩見沢という街を見に行った。

大通をスタートして大谷地を経て江別に向かう。
広大な野幌森林公園の西側に沿って走る国道
12号線を進むことと30分。札学、酪農、浅井学園が見えてくる。
予想外にこの学園エリアまでは近かった。
だが、そこからが長かった。江別からは豊幌・幌向と、さらに
30分かかって岩見沢校に着いた。
車を降りるとムッっとする熱気に包まれた。久しぶりに感じる夏の暑さだった。

岩見沢校の前身は青年師範学校だ。だから農業指導なんかも行っていたから、5分校の中では敷地面積が最も広い。校舎の背後には広大な自然休養林や公園を控え、あり余るほどの敷地を保有している。
学生駐車場に降りると、夏の熱気とともに勢いある虫の声に取り巻かれた。子どもの頃の夏の記憶が瞬時に呼び戻され、懐かしい気持ちになった。

校舎は見るからに古い。
本館の改修工事がすでにスタートしていた。
しかし、別の場所にプレハブを建て、住人を一旦非難させての工事じゃなく、研究室や演習室に教員学生が居ながら工事だから大変だ。しかも
アスベストまで発見されちまったものだからなおさらだ。
当然、岩見沢校の内部では「研究や演習ができない」「健康被害は大丈夫か」「そんな工事は許さない」本部施設課と岩見沢校急進派教員との
スッタモンダが始まっていた。

釧路校の場合は<教員養成・新課程>→<教員養成>への変更だから簡単だ。
しかし岩見沢校は<教員養成・新課程>→<教員養成・新課程+芸・スポ課程>→<芸・スポ課程>と、全面的交換だからものすごく大変だ。
プレハブを建てれば一見落着なんだけど、それができないもんだから、市内の廃校を活用してバスで…なんて、おバカな議論もあるという。
それを思えば
釧路校はいかにノンビリしたものか

さて、大学内のゴタゴタはさておいて、私の今回の課題は「これから私は何処に住むのか」ということだ。

岩見沢の駅に向かった。数年前に火事で燃えてしまった駅舎は小さなプレハブで、見るからに寂しげだった。それに較べて、隣にある鉄筋コンクリート5階建てのバスセンターの立派なことよ(まもなくJR駅も再建工事がなされるそうです)。

駅前から、繁華街へそしてひとわたり市街地に車を走らせてみた。
予想していた通りの小さな街。
田舎クサイ街
暑い夏
深い雪

ウ…

それから、駅のバスセンターにある不動産屋で、岩見沢あたりの住宅状況の話を聞いた。その後、もらった資料をもとに、マンションやアパートを覗いてみた。
子供用の自転車が放置してあったり、ベランダには布団が干してあったり。
20年前の安月給の頃には、当たり前に思えた光景ではあった。しかし、広々した静かな戸建てに住み慣れた身にとっては、…もう、チョット耐えられそうにないと思えた。
こういうところに住むのは…
ウッ…

そういえば
現在でも岩見沢の先生や事務職員のうち、札幌から通勤している人が結構いるという話しを聞いていた。大学の職員録の住所を見ると、岩見沢校の先生の三分の一は岩見沢市外から通勤していた。しかも
15人以上が札幌市内に住んでいるじゃないか。

そこで急遽、アタマを全面的に切り替えた。
札幌に住もうか?

これまでの15年間。私はゴミゴミし霧に包まれた釧路を避けて阿寒に家を建てた。

牧草と馬、そして山・川・公園に囲まれた、のどかな田園に暮らしてきた。そうした田舎の暮らしの中で育った二人の子どももいなくなり、これからは家内と二人の生活に戻ることになる。

私の実家は愛知にある。年取ったらそこに戻って農作業をしたいと思っている。野菜や果物を育て草取りして、一年中そんなふうに土と共に暮らすことが人間の本来的な姿だと思っている。
だから逆に、これから退職までの
13年間を、札幌のド真ん中に住むことも面白いかも知れないと考えた。

急遽方針変更し、札幌−岩見沢の通勤方法を研究する。札幌中心部からは自家用車ならば約1時間〜1時間半かかるが、公共交通としてはJRと高速バスがある。自家用車ならば2万円強の手当てだが(40`の場合)、公共交通利用の場合には全額支給されるから、費用の面を考えることはない…。
そうすると、公共交通を利用して「札幌のド真ん中」からの通勤が可能になるかも…。

岩見沢は仕事の場、住むのは札幌と、その路線を検討するために再度札幌に向かった。

(次号につづく)


 

 

 

 

 


 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


■新作です


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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