WEB-ATELIER通信

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                                                                コラム更新日2005/11/23

2005年 今月のコラム 

   

12月  

   
 
  ◇12月号もくじ◇

  1.続・祝一周年
  2.軌道修正しよう
  3.サンクス潰れました
  4.2005大学祭
  5.モデル実習の末路
  6.教採の結果です
  7.岩見沢校推薦入試

続・祝一周年
先月号以来、岡山の宗森さんから「一周年オメデトー」と、一通のメールが届いた。その後、BBSで数人の方から一言ずつありました。おたよりどうもありがとう。

軌道修正しよう
この数ヶ月の記事を読み返してみて、ちょっと違和感を覚えた。
このコラムページは、当初は、アトリエ通信の名のとおり、釧路校に関するニュースや美術科のもろもろの出来事を卒業生にお知らせすることが第一の目的のはずだった。だから、どんな新入生が入って来ましたよとか、学生の展覧会や卒制展や卒業式の様子など、いわゆる
情報提供ページとしての目的を持たせようと考えていた。
でもそれがいつのまにか、私と家族とのやりとりが記事になってしまっている部分が増えてきてしまった。そこで、「これではいけない」と思い直した次第だ。
今後は、わたくし事の
くだらん話題を垂れ流すことはやめにして、初心にかえり、淡々とした「アトリエ情報重視」の紙面づくりに精進しようと思います。

Sankus潰れました
3週間ほど前でしょうか、夜、下校しようと駐車場から道路側を見るとなにか暗い。「アレ、変だな」と感じたが、「あ。サンクスがない」と気づいた。大学生協の食堂がさびしくなるぐらい学生が通っていたからまさかと思ったが…。
200mぐらい下がったところにある旧・杉本は大掛かりな改装工事がたたり倒産した。その後セイコーマートに代わったのだが結構健闘しているようだ。やはり釧路のような町では、庶民的な安値設定の特売品や日常野菜などに気配りしているセイコマの方が好まれるようだ。コンビ二経営は難しいのですね。
まずは身近なご近所情報でした。

2005大学祭
今年の大学祭は、美術科の4学年そろった最後の大学祭でした。おそらく来年からの美術科の大学祭への参加の仕方は、これまでとは違った感じになると思います。だから今年の活動の経緯を丁寧にお知らせしようと思い、準備段階を写真に撮りB-KenWebに乗せ始めたのだった
美研恒例「
子供だましアドベンチャープレイ」は、1年生が中心となりせっせとダンボールを使った大道具づくりが進められていきました。次第に泥絵の具に塗られたダンボールがアトリエの空間を埋め尽くしていった。仕方ないからこの時期は実習の授業も一次休止状態になるのです。
ところで私は毎年感心していたことがあります。なぜ学生たちはまともな作品作りができないのに、こういった「いい加減な」制作物はせっせとつくれるのだろうかと不思議に思っていました。とりわけ今年の熊モドキ紙彫刻は圧巻だった。
しかし、考えてみれば、通常であれば出来が悪くてみっともないから人前には出せないな、というボツ作品をヌケヌケとさらけ出してしまっただけのことかも知れません。つまり、許容量が極端にルーズないい加減学生のしわざゆえといえなくもありません。
さて、大学祭当日はそれらがどのように組み合わされて、おちゃらけアドベンチャーゲームに仕上がったのでしょうか? しかし、残念なことにちょうど私が不在だったので、学生に撮影を頼んだのでした「
任せてくださいおお○ま、ばっちりですよ」との約束だったのだが「写真は?」
「撮りましたよ」
4枚しかないじゃないか
「私もけっこう忙しかったから」
「…」
あの事前約束の勢いは何だったのだろう。
おお○まさんは、たぶん勢いだけでリクルートへの就職をゲットしたんだろうな。仕事は勢いだけじゃ通用しないからお気をつけたまえナ。
というわけで、美研最後の完全学年企画物の記録は、無残にもうちうちの学生が輪投げしているたった4枚の写真で終わってしまったのです。残念。
さて、果たして来年の学祭企画には美研は参加できるのだろうか。

モデル実習の末路
初めてモデルさんを頼んだのは、私が釧路校に来て3年ほどしてからだったろうか。それまでは学生のモデルを頼んでコスチュームでやっていた。
「ヌードのモデル実習やるようにしたんだって、俺たちが卒業してからやり始めるなんて
ずるいな〜あ
就職した翌夏に釧路に旅行にきた佐賀の秋山さんが悔しそうに言っていた姿を思いだします。
あれから20年以上たつのでしょうか。
モデルの○○さんいわく、「私ねあなたたちのオカアサンぐらいなのよ」と言いつつも、相変わらず現役で勤めてくれてます。
今年の2年生の後期の授業は、阿部先生の方針で、好きなことを進めるという方針にしたら、なんとモデルさんを描くのを選んだのはたった一人だった。後期のモデル実習がスタートしたときに「何人で描いてるの?とみっちーに尋ねたら、
わたし一人なんです
「え?一人しかいないの?」
理由はよくわかりませんが、そういう状況になってしまっています。
でも、モデル実習も残すところあと1年のみ。できれば大勢が参加してくれるといいのですが。

教採の結果です
昨年卒業した札幌のクワさんから、「B採で小学校うかりましたあ」とのメールがありました。
でもその後は、現役生からは連絡がさっぱりでした。
で、4年生のモリモリさんが、何かの用事で研究室に来た折に言った「あ、わたし試験受かりました。それもA採でした」
「…え?中学美術じゃなかったっけ」
「そうですよ」
「…ホントか?よく受かったなア」
「わたしもそう思います、
奇跡ですよ!
あっけらかんとそう言った。
発表があった日から5日ぐらい経過していたから、現役の合格者はいなかったんだと、あきらめていたのです。まあ、もりもりさんの行動パターンには若干考えさせられるところもあるけれど、でも、もりもりさんは6月ぐらいから猛烈に頑張っていた人でした。
「あたしの卒業制作指導は試験がおわるまでお休みさせてください」
「あたし絶対に受かるんです、受からなきゃいけないんです」
相当の気合が入っていたからこその結果なんでしょうね。

最近、はやっている本のひとつに、「下流社会」ってのがある。
かつて日本人は総中流だって意識が強かったらしいが、いまやそれが二極化し、「下流」が生じてしまったという。その下流を生じさせている原因は「意欲の欠如」だという。そういうあたりを解説してる本なのです。
教員採用の合格率が10数パーセントに落ち込んでくると、はなからあきらめ気味の学生が多くなる。
「どうせ受からないけどいちおうは…」「親の手前、記念受験で…」そんな輩が増えてきている。
そういうなげやり気味な雰囲気の中で、もりもりさんの一途な意欲は珍しい存在にも映ったのです。
やはり一番大切なことは、気合なんだろうな。
もりもりさんおめでとう。

今、手元に資料がないからうろ覚えだけれど、今年の道の採用試験では、中学美術は倍率25倍で、社会科の24倍を抜いてトップだったと思う。170人ぐらい受けて一次合格者は15名程度で、これも他の教科とくらべるとダントツで厳しかった。二次合格者は7名で、昨年より1名多かった、そんなところだったと思う。ちなみに札幌市は例年、何人受験しても1名のみ採用だ。もう、はんぱじゃ受からんぞ。詳細は後日お知らせします。

岩見沢校推薦入試
11月19(土)、岩見沢校の推薦入試に行ってきました。
16日夜札幌に向かい、17日はあいの里の本部で就職対策全学委員会、18日には入試準備や打ち合わせおよびファクトリー公開
(写真2以下参照)があり、19日は入試当日だった。
だから私は札幌をベースにして、岩見沢へは二日間通勤したのでした。ちょうどJR+市内バスと高速バスを使っての通勤シュミレーションにもなりました。
11月だというのに愛の里は5センチの積雪、岩見沢は10センチでした。
岩見沢の校舎に近づくと予想どおり、青いベールに包まれた本館工事現場が見えてきました。梱包アーティストの
クリストもびっくりだな(写真1)。この青いベールの中は研究棟で、居ながら工事の問題で教員どうしがスッタモンダしてるってことは過日少しお話したところですね。
しかし、その工事中の廊下を抜けたところの学食にいってみると、ちょうど昼食時だったこともあり、学生たちがうじゃうじゃいた。
それを見る限りでは、学生たちは課程変更や工事の関係などまったく気にならないかのように、みなさん結構快活にくっちゃべっていて元気な様子だった。
さて、新生岩見沢校の推薦入試は、とうぜん芸・スポだけで実施されました。美術の受験生は8名の募集に対し21名の応募者がいたので倍率は2.5倍。
自分が持参した作品を背後に並べられての個人面接15分だけど、受験生の目の前には11名の美術科教員がならんでるわけだから、相当緊張してた人もいましたね。
持参作品は平均で5〜6点、多い人では100号を含めて十数点持ってくる人もいた。
受験生はみなさん相当気合をいれて乗り込んできていて、正直なところ、とても面白い面接試験だった。
研究所でのデッサンや水彩画もあったけれど、やっぱりそれらは技術的にどこまで達成してるか、ものさしを示すだけで表現としてはちっとも面白くないことを実感した。
それに比べ、いわゆる高文連に出したような油彩作品が個人の1年から3年までの3枚を並べられてる場合には、
高校生の悩み世界の露呈みたいな部分があり、なかなか味わい深かった。
でも今回、あらためて高校生の油絵というものに新たな発見があった。それは、ホントに自分だけ、自分の世界だけしか見えてないし、その世界を伝えることが表現することのすべてだって強く考えてしまっている思い込みの凄さというか可笑しさというか、そういうう発達段階を見ることができたことがとても興味深かった。
そしてもうひとつは
技術がムチャクチャなところがすごかった。自分に向けた、自分だけのために描かれた絵画が高校生の絵画の特徴だろう。悩みを暴露することが一番の目的なのだからそれが達成されれば方法なんかは何だって良いわけだ。
油絵の基本的処理方法やテクニックは
皆無だ。
透明・不透明おかまいなし、マチエールはぐちゃぐちゃだ。まるで猪が突進してるかのごとく描いている。
私は高校生の頃にまともな先生から教わったし、自分でも技術面を調べて試してたから、このようなムチャな描きかたや絵の具の使い方をしたことはなかった。
そうしてみると、今の高校生のほとんどは油絵の技術というものとは無関係の世界で油絵を描いているんだということがわかる。
で、あれ?このことは釧路校の美術の学生と似てるなと思ったのです。
うちの学生は、授業時間の実習なんかでは、言われたように技術面をトレースしているんだが、自主制作になると、それらをきれいさっぱり忘れてしまって、「自分だけ世界」の露出と「ぐちゃぐちゃテクニック」に没頭した表現に戻ってしまっている。さすがに「お悩み世界」からは脱しているが、生活の場に展示したいとは思わない
こ汚い物件が多いな。
それらがアートアウス展に並べられるわけだから、外部の人々からみればうちの学生の表現は「うーん、高文連レベルに近いですね」ってことになる。
で、
また推薦入試に戻りますと、今回来ていた受験生のうち数人は、持参作品以外にすごくキッチリ作られた作品ファイルやレイアウトされたポートフォリオを持参していた。なんとポートフォリオを面接官十人分10冊用意してきた人もいたぞ。
これは当然、高校側の指導によるものだろうが、今、4年生で就職活動に奔走してるうちの学生なんか目じゃないほどの出来栄えだった。
そして、みんなとても描画が上手だったから驚いた。
ちなみに札幌校の先生に聞いてみた。
「札幌校の受験生は、これまでもこのぐらいのレベルだったの?」
「う〜ン、だいたいこんなもんだけど、もうちょっと上下のレベル差が大きいかな。」
それでは、感想的結論です。
今回受験に来ていた半数の高校生の作品レベルは、たぶん、うちの学生の卒業制作レベルだったってことです。
「なんだよ!じゃ
オラッチは高校生並みかよ」って、嘆くも良し、ふて腐れるも良し。
だって美大や芸大うけるレベルの受験生だったらさらにもっと上を行ってるわけですよ。釧路なんかにいると現実のレベルがほとんどわからなくなっちゃってるけど、実際の美術界はそうとうハイレベルのものと思ってほしいですね。
でも、彼らは全然きちんとした技術は持ってないし、せっかく身につけた受験用テクニックも大学ではじゃまだから捨てなくちゃならない。そしてオーソドックスな基礎技術を習得しなおす必要がある。
それから、美術が「自己表現」オンリーだと
誤解してるわけだから、そのマインドコントロールを解くことも厄介な問題だ。つまり美術史と現代アートの成立の背景をを学んではじめて「美術」が理解できて、そして自分が今何をなすべきかのスタート地点にたつことになるわけだ(*01)
2月に行われる前期試験には、120〜150名が受験するようだ。体育館を使っての実技試験の打ち合わせも行ってきたが、これにもまた4泊ぐらいで行かなきゃならない。
前期試験ではおそらく予備校や研究所レベルの受験テクニックの競い合いになるだろうから、今回ほどの面白さは感じられないでしょうけど。

さて、12月3日から12日まで、佐々木先生と科研費による北欧ゴージャス<研究つあーに行ってきます。次号はそのほうこくだな。
お楽しみに。

 
研究室から見たサンクス
看板もなく窓ガラスは内部が見えないよう白く目張りされているあわれを感じるな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とても貴重な4枚の学祭写真
クワさん情報

「年明けにNYへ行ってきます。英会話もできないのに一人で旅行へ行くという相変わらずの無謀さです…11/22のメールより

 
(写真1)なぞのブルーベールに包まれた
新生岩見沢校舎

(写真2)以下、ファクトリー
ファクトリーは、釧路校でいえばアトリエや金工室にあたる実習(演習)+教官研究室です。美術コースのうち8割程度を収容し、2割は既存の本館を改修したスペースに入る。

A棟、B棟があり、中央通路で結ばれている。でかすぎて写真に入りきらない。
合同演習室の半分ぐらいが写っている。相当広い。赤いのはドア。ドアの向こうが中央通路。通路の上が教官研究室。
下が演習室(実習室)。上の教官研究室へはむき出しの階段を使う。
階段を上った研究室の半分程度が写っている。ここは手すりしかないが、他の部屋には壁がある。現在の私の研究室の倍程度のスペース
このへやあたりが私が使うことになる演習室かな。構造材がむきだしで大分広い。

*01)実技とちがって、これは理屈だから、ものごとの理解力が不足している人には理解できない。だから半数ぐらいの人が落ちこぼれることになる。
今、私が釧路でやってる演習の授業みたいなものがサクサク理解できないと、現代アートの背景は理解できないでしょうね。