コラム


3ヶ月の空白

元旦から3月の末まで3ヶ月間、ズッと謹賀新年の文字が出っぱなしでしたね。どうしちまったんだろと、ご心配の向きもあったかもしれないが、このところいろいろ落ち着かなかったのです。
え~そんなわけで、久しぶりの
更新です。で、見出しだけは1.2.3.4合併号」と、景気よくしておきました。

1月半ばには2週間の集中があった。その後は・入試やその準備会議、それに私用を加えると、釧路にいた日数よりも札幌岩見沢にいた日数の方が多かっただろう。
2月末の時点で、釧教大に登校した日数を数えたら、元旦以降
なんと7日しかなかったよ。
我ながら、自分がいったい何者で、なにをしているのか良くわからなくなってしまった。
1月末、コラムを更新しようかナと思ったのだが、その気にならなかった。
これまでは、1ヶ月間もあれば、それなりのイベントや、なにかしら報告したい内容があったのだが、今回はお伝えすべき内容が無かった、ということもその理由だな。
岩見沢校に関する内容では、1月に行った集中は、7月に実施した授業の後期版だから、新鮮みがない。
岩見沢入試に関しては、おおっぴらに報告してはイケナイ、秘密の花園事項だから、詳しく書くことはもちろんできない釧路校に関しては、前述のように、ほとんど登校してないから、よくわからないし。年間行事の最大イベントの「追いコン」も、所用で欠席してしまったしね…。
ということで、今回は「送別会」と「おおやけにできる入試」について書きたいと思います。

送別会1

追いコンの翌日、二人の学生が研究室にやって来て、こう言いました。
「いつごろお暇ですか…? 
先生の送別会をしようと思うのですが」
一応、私も今年度末で本務校と兼務校とが入れ替わり、岩見沢が本務校になるわけです。しかし、あまりそうした意識がないものだから、私自身ではたいして気にもしていませんでした、でも、住み家が釧路を離れるということには違いないわけですね。
「エ…、まあそういうことかもしれないけど、
気持ちだけいただいときます。
その場ではそう答えました。
4月からも釧路校で授業があるわけだから、「いちおう毎週釧路に来る」予定だし、A701研究室も、当分はこのままの状態で使用できそうです。ですから、私と学生との実質的な関係は、来年になっても今年とあまり変わらないんじゃないかな、と思っています。
ともかく、新3年生がめでたく卒業する2年後までは、面倒を見させてもらおうと思っていますから、ありがたくお断りした次第でした。

送別会2

3月16日に釧路校全体の職員送別会が行われた。
昨年の送別会は、たしか退職者が2名で4名が再編関連の異動者だから、送られる側は6名だったと思う。
一昨年の福井先生の退職年には、送られる側はわずか2名だったから、昨年の6名は平均よりは相当多かったわけだ。
しかしながら、今年送られる対象者は、なんと
昨年の倍の12名だ。おそらくこんなに多くの異動異動者がある年は、後にも先にも無いことだろう。12名のうち6名が退職者です。
メジャーなところでは、明神勲、奥山先生。他の退職者は、いわゆる大学院設置要員として、この10年以内に各教科に赴任された方たちだから、おわかりにならない人の方が多いだろう。
それから3名が他大学への転出者で、それ以外は岩見沢への移動などの再編関係者だ。
再編後の釧路校は、教員養成への特化が進んでいる。だから近頃は、音・美・体・技術・家庭の退職者の後任はもちろん無補充。退職者の後任として新たに採用される先生の所属は、教育・教職がらみが圧倒的に多い。
そういう訳で、
いつのまにか知らない顔の先生が増えてきた
先日も、久しぶりに出た教授会で、発言した先生の声に聞き覚えがない。だから、隣に座っている佐々木先生に、「あの人、誰?」と尋ねたところ、「教職の…さんですよ」と教えてくれた。で、「その向こうの人は誰?」と尋ねたら、「アレ?あの人はアレ?だれだったかな?」、佐々木先生も知らなかった。
もちろん、廊下を歩いている時にも、けっこう知らない先生と顔を顔を合わせているのだが、もう名前を確認する気にもならない。私が、顔と名前とが一致しない新任の先生がおそらく3人はいるだろう。
釧路校の今は、そういう状況なのです。

2007入試

昨年の釧路校の受験者数は他分校を押さえて、ぶっちぎりの高倍率だった。さて今年は…。
どっこい、再編2年目の今年は受験者が半減してしまいました。(前期6.2倍→3.1倍へ、後期18.7→8.5倍へ)
まあ、再編初年は高倍率で、翌年は低下し、そして3年目ぐらいにほぼ落ち着くというのが、通常の受験生の志願状況というものでしよう。
ただし、昨年からは前期試験では、釧路校の志願者が、他の分校でも受験できるようになりました。だから、今年の前期試験では、釧路校の277名の受験者のうち、
釧路校に来て受験した人は80名しかいませんでした。それに対し約142名が札幌校で受験したのでした。この方法は、受験生にとってはとても有り難いしくみには違いないでしょうね。(後期試験は面接だから、それは各分校に出向いて受験する以外ないわけです)
ところで、岩見沢校の受験者は、昨年も程々の倍率だったのだが、今年はさらに増加した。昨年と違うのは、今年は後期試験も実施したということで、それによる受験者増加はもちろんある。しかし、もう一つの増加要因は、センター試験の教科数減にあるだろう。
昨年は、全学的に5教科が義務づけられていた。しかし、音楽・美術の受験生にとっては、私立の美大・音大受験との科目数の開きが大きすぎるということから、
3教科に減らしてもらうことに成功した(スポーツは5教科のまま)。

おかげで、昨年は2倍を切る低倍率に仰天した音楽コースも、今年は3倍を超えホッと胸をなでおろしたのだった。
美術コースは、順調に受験者数を増やしたのだったが、もちろんメインは前期試験だから、合格定員は前期31名、後期8名と、大きく差をつけてある。
今年の美術コースの倍率は
前期が4.9倍、後期が14.8倍だった(もちろん辞退者を見込み若干多めに合格させるから、実際の倍率はもっと低いのだが)。
ところで、後期試験の合格発表は、3月25日あたりに行われることが多い。
しかし考えてみれば、この日程は相当無茶な日程だ。自宅生ではない後期の合格者は、発表を見て、それから、下宿探しに走らねばならない。そして今年は、4月4日の入学式まで9日間しか無い。しかも昨年に続き、合同入学式だから、札幌まで行かねばならない。
誰がみてもこのスケジュールには相当な無理がある。
釧路校の教授会は昨年、合同入学式への反対決議を行った。今年は函館校も反対決議した。しかし、それに対して再編後は絶対的な議決権を持つ学長が、聞く耳を持たないからどうにもならない。
入学式では、「…以上○名の入学を許可する」と、学長がうやうやしく述べる場面があるのだが、入学式に出なくてもすでに入学は許可されている。だから、式に出る出ないは自由なのだから、「オラはそんなとこ行かないよ」ということで済む話ではある。
しかし、最近の学生はスナオだから、入学式をサボルなんてことは良くないと考えてしまうかもしれないね。
あ、岩見沢校への入学生に関しては、札幌の厚生年金会館での入学式は、そんなに負担では無いだろうから構わないとも言えるのだが、釧路・函館はボイコットを促しても構わないと、私は思うのですよ。(以上、3月15日)

卒業制作展


今年は、釧路も驚異的な暖冬です。ほとんど雪が降らなかったし、あんまり寒さも感じなかった。このぐらいの気候ならば、釧路も住みにくい街ではないのですがね。
さて、ことしの卒業制作展は3月7―11日に、まなぼっと1Fで行われた。

の学年は、2年時にMさんが転学し、K君が転課程してきたものの退学し、聞くところによるM君は途中就職し、Iさんは留年と、なかなか出入りが激しく落ち着きのない学年ではありました。そのうち、私が今年担当した卒業生は、新課程2名+教員課程5名の計7名だった。彼らに関しては、このWEB頁で紹介してきたから、この7人がどんな制作をしているのかすでに、だいたいお分かりのことと思います(なんと油絵が3名もいるぞ)。そして、加えて立体専攻生が3名ですから、卒業生数は計10名。

だが、会場写真でごらんのように、卒業制作展は、うーん!こいつはチト寂しい展示ではありました。教員課程の学生は論文が主で、制作はオマケなんだから、この程度の内容でも「良く頑張りました」と言って良いと思う。しかし、新課程生はこれが卒業に関わるメイン要件なんだから、もう少しパワーがないと情けないですね。(特に立体生ネ)。

卒制展への指導をほとんど行えなかったことを私自身反省しています。

来年、そして再来年の後2年間、最後の最後まで、キッチリした展示を行ってキレイニ締めくくりたいものですね

 
▼3月24日~27日にかけて札幌へ引越ししました。例年、年賀状を送って頂いている方には、そのうちに転居通知をお送りします。

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