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 コラム更新日2007/5/31

2007年 今月のコラム 

     6月 (幣舞橋からの眺め)  


 
桜・連休・めがね…そして私の作品


さくら

今年の札幌は、ゴールデンウイークの中頃から桜が開花し始めた。
5月8日、岩見沢校の授業に向かう途中で、思いがけない花見ができた。JRに乗り、札幌駅をスタートしてすぐ、列車の進行方向左手側に満開の桜が次々と現れてきた。真っ白のもの、ピンクがかったもの、八重桜など。
千歳川を過ぎるまでの約15分間、50本ぐらいあっただろうか。いろんな種類の満開の桜が次々に現れては消えていった。北海道に来てこんなにタップリと満開の桜を見たのは初めてだった。

今年、私が一番感動した桜がコレ。
この桜はお見事だ。歩道の頭上に覆い被さるように咲き誇っている。札幌駅北口の地下道を出てすぐの、合同庁舎前庭の植木群の中にある。これは、久しぶりに見た「本当にお見事な桜」でした。

チューリップフェア

「今年のチューリップフェアはいつやるの?」
鶴ヶ岱公園でチューリップが咲き揃いだしたから、学生に尋ねてみた。
「さあ…?…いつなんでしょうね。」と、誰も知らなかった。学生たちには全く関心が無いようだ。

私が研究室の片づけも兼ねて釧路へ3泊で行った5月27日に開催されたから、このお祭りを5年ぶりぐらいに見ることができた。
気温11度・薄曇り。芝生に座り弁当を広げるにはやや肌寒い気候だった。昔と比べると規模がだいぶ縮小されていた。かつては写真左手のステージでは、バンド演奏などが朝から夕方まで騒音を出し続けていたのだが、今年はずいぶん静かだった。
それもそのはず、経費を230万円から120万円に下げて、歌手を呼んでのステージイベントは止め、手作りにしたということだ。地元の音楽好きの方々によるこじんまりとした発表会にとどまっていた。
フリマが巾を効かせていたようでもあり、人々のお祭りに対する感覚も以前より相当変化したようだ。

都会だなと感じた

5月の連休明けに冬タイヤを交換しようと思った。ガソリンスタンドは交換料が高そうだしな…。
そう考え、近くの大きな車用品専門ショップに行ってみた。
平日の午前中でもあるし、レジカウンター前には数人の客がいるだけだった。
「作業開始まで45分待ちですがよろしいですか?」
「…!」
カー用品専門店などは、もう2年間ほど立ち寄ったことがなかった。カーグッズでも見てれば時間も経つだろうと思い
「じゃ…」と頼んだ。しかし、少したってやはり私はカーグッズには全く興味を持てない人間だってことが分かった。
10分もたたないうちに飽きてしまった。
そのうちに、レジカウンターの上に、「ただいまの作業待ち時間」という電光掲示板があることに気づいた。
待ち時間はなんと「90分」になっていた。ピットが7箇所もあり、平日というのにこれだから、土日ならばどうなるのか
結局、交換作業が終わったのは1時間以上たってからだった。
普通車のタイヤ交換なんか自分でやったって30分もかからないのに、まったく。
これまで釧路では、私と家内の2台の車を庭先で自分で交換していた。最近は知り合いの修理やさんに持ち込んでいたが、いつもスグにやってくれた。
思いかえせば、区役所で住民票を提出するのにも、銀行にあるような順番待ちの番号札を機械から引き抜いて、書類を出すまでに30分も待たされた(終わるまでに50分もかかった)。免許証の住所変更に交番へ行けば、「あ、まだ地方では交番でやってるとこがあるけどね、札幌では、区の警察署まで行ってネ」
地下鉄にのって2駅先の北区警察署まで出向かねばならなかった。

「何をするにも時間がかかる。これが都会というものか…ウーム」
次回の交換はスタンドに頼むことにしようかと考えた。

メガネ

明け方のことだった。ベットの中で「べキッ」。何気なく伸ばした膝頭あたりでいやな音がした。
「… ? 」
「… アッ!… まさか!」
めくった掛け布団の壁ぎわに、「折れた柄」が転がっていた。
「…レンズを交換したばかりだった…のに…」
実は、このメガネは遠視の度が合わなくなったレンズを、3ヶ月前に交換したばかりだったのだ。
すごく悲しかった。

45歳の頃だったろうか。印刷物の細かな文字がどうにも見えづらくなり、遠近両用メガネなるものを初めて求めた。
「誰でも40歳ぐらいになると近場が見えづらくなるものですよ」店員さんにそう言われて何かホっとした覚えがある。
私が初めてメガネをかけたのは高校2年のころだった。
親に買ってもらった、最初のメガネはプラスティック製の黒縁メガネだった。
もちろんガラスレンズだし、フレーム自体も重く、鼻受けの部分や耳にあたる部分が痛くて、ずいぶん長いこと慣れなかった。
ベットの中でふみつぶしてしまったメガネは、私にとって8代目のメガネだった。
2代目は大学2年の頃、バイト代をためて自分で買ったアルミフレームメガネ。
3代目は、就職した高校の廊下で、女生徒とぶつかりレンズが外れてしまったことから新調した。
これは当時の私の月給の三分の一もする、5万円のローデンストックだった。でも、さすがドイツ製だけあり頑丈で、ずいぶん長持ちした。
4代目は、結婚してから子連れで出かけた南青山で偶然寄ったオリバーピープルで買った丸メガネだった。
こんなにステキなデザインのメガネがあるのかと、すごくうれしかった。
5代目は、北大通りの今は亡き老舗メガネ屋で買ったベッコウ風の黒縁フレーム。
6代目はポスの近くの眼鏡量販店で売っている安売り群の中で、唯一見つけたデザイナーズブランドのアイスベルグだった。
7代目には遠近両用メガネが必要となった。だからデザインよりも機能を重視して、ツアイスの大きめサイズのおじさんメガネを選んだのだった。
そして、今回買った8代目のメガネは、大丸で探した。
いまやメガネもピンキリだ。それこそレンズ込みで弐万円の普及品からフレームだけで20~30万円の値札をつけたブランド品まである。
メガネに限らず洋服に関しても同じなんだが、若い頃はどんなに安物を着ていたってそんなにおかしくは見えないものだ。しかし、おじさんになってから安物を身につけていると、すごくヘンに見えてしまう。
数年前、青山だとか赤山に並べてある、チープなつるしのスーツを試着してみたことがある。自分がとてもみすぼらしく見えてしまうことに愕然とした。年取ると何をするにしてもお金がかかるようになるのですね。

さて今回、2万円ぐらいのフレームでいいやと、眼鏡屋の入り口付近で探し始めたものの、「うーん…?」とか「チョットなア…」とか思いながら、次第に店の奥にまで入り込んでいく。そして、イケナイと思いつつも、ガラスケースの禁断ゾーンに鎮座しているフレームにまで手が伸びていってしまう。
で、今回はちょっと遊び心もかねて、写真のようなフレームに決めた。どこのメーカなのかは写真から推測してください。分かる人にはわかるはずだから

作品のゆくへ
連休の中2日を使って、釧路校のアトリエ倉庫にしまっておいた、私のかつての作品を整理した。
昨年の夏には120号以上あるいは60号以下の作品を処分したのだが、今回は残りの100号と80号サイズの、20点ほどの作品を廃棄した。
木枠にそってキャンバスの4辺をカッターナイフで切り裂き、4つ折・6つ折にしてスズランテープで縛り上げる。台車に積み上げゴミ捨て場に運搬して完了。
これで私の150点ほどの作品のほとんどは、写真として残るだけになった。

若いころは、作ることばかりに専心していた。だから、作品をその後どうするかまでは思いがいたらなかった。
「ひょっとしたら、ストックしてあるこれらの作品のいくつかが再び日の目を見ることがあるカモしれない?」そのような思い入れもあり、作品を棄て切れなかったこともあった。しかし、50歳も過ぎた今となると、そろそろ先々のことを考えるようになった。
作品は美術館などに収蔵されない限り、美術品とはならない。ただのモノにすぎない。私がこの世からいなくなれば、私の作品は単なる粗大ゴミと化してしまうはずだ。その時に周囲の人々に迷惑をかけないようにしたい。そこまでわりきれても作品を棄てる気持ちになれなかった。
作品を作ってきた者にとって作品を棄てるという行為には勇気がいるものだ。

しかし、釧路を離れるのを機に、やっと約30年間の過去を精算する気になった。おそらく私はあと25年ほど生きるだろうから、ここでいったんリセットして再出発することも面白い。そしてそのためには、いずれにも収蔵されなかった作品を世界から抹消することは必要なことだろうと、自らに言い聞かせた。そうして、やっとほとんどの作品を棄てる気になれたのだった。
私は、もうこれからは粗大ゴミとなりうる作品は作らないつもりだ。今回のような悲しい思いで作品を切り刻まないですむような作品ならばつくって行きたい。この数年の間に、そうした方法のあり方を思案していきたいと考えている。

 

 私見立て最新釧路事情…ホテル乱立環境整備されども人不在

NEW駅前ホテル誕生まじか

かつて、釧路の北大通りの玄関口には金市館なるビルがあった。その跡地にドーンと建てられたのが、ルートインなるホテルだ。釧路ホテル戦争の最終兵器だな。タクシーの運ちゃん曰く、
「こんなにホテルばかり建っちゃって大丈夫かね?」
まったくその通りだ。人ごとならず心配してしまいます。

駅前を右にパンすると、

最近建てられたもう一つの駅前ホテルが目に入る。ここは元はイズムっていう高校生あたりをターゲットにした、洋服やお手頃グッズを売っていたビルだった。ボーリング場もあったっけ。
今はホテルになっているけれど、設備的にはあんまり評判が…。
でも、問題なのはその手前の小ビルたちだ。パチンコ屋
は、つい先日つぶれたし、ワイドなる町金も店を閉めてしまった。唯一生きながらえてるのはお菓子屋の柳月だけになってしまった。
駅の正面がこのありさまでは、とても悲しい。

町の中心部に向かっていくと、

3年ほど前に建てられた東横インが目に入る。
東横インは、ツインで泊るとたいそう安あがりになる。しかし、近頃はどこでもダンピングしてるから、シングル泊ではむしろ若干高値に感じられるようになってしまった。
すぐ裏手には「スーパーホテル」なる温泉つきホテルがいつの間にか出来ていた。チェーンホテルばっかりだ。

ここが釧路の中心部なのか?

丸井今井が閉店してしまってからは、この交差点の雰囲気も相当変化した。いまやサラ金の看板ばかりが目立っている。
近頃は、どこの街へ行ってもそうなのだが、こいつらきわめて目障りだ規制強化してほしい。何とかならないものかまったく。

でも、サトウ紙屋とささき画廊は、健在だ。

ここに来ると、何かほっとさせられる。北大通りで落ち着いた店構えなのはこの一画だけになってしまった。
右側の古本屋は、若い店主なのだがよく頑張っている。ここにはなかなかの古書がおいてある。しかも神田神保町並にキッチリ調べた最新価格が付けられているからあなどれない、田舎の古本屋とはとても思えない。

▼丸井の後は「キュート」

KUTEって看板が目に入る。しかし、正午頃この脇を通ったのだが、すべてのシャッターが下ろされていた。テナント集めに苦労してるという話を聞いたことがあるのだが、このビルは、いったいこの先どうなるのだろう。かつてはこの通りにタクシーがびっしり並んで居たのだが、近頃はいつ見てもも3台しかいない。

▼釧路デパートも死んでしまった

このビルの外観は、私は結構好きだった。でも、次第に4階・3階が閉鎖され、いつのまにか1Fだけになり、そしてとうとう閉鎖されてしまった。

▼電線も無くなったが、人もいなくなった。

釧路駅から幣舞端までの約0.8キロの間、ホントニ電線が無い。
かつては、「電柱や電線がなくなれば、どんなに街並がスッキリすることやら」と、私も思っていた。
しかし、普通の街並から電線をタダ排除しても、大して美観良くなるわけじゃないってことが、この例でよく分かった。
街の寂しさを改善するために、再度「電線の地上化工事」をやった方がよいかもね。

▼この歩道工事はいったい何なんだ?

昨年の秋から冬にかけ、このあたり一帯の歩道工事がすすめられていた。その工事もどうやら終わったようなのだが、歩いてみて驚いた。
地下に温水をはわせた融雪路面になっているのかも知れない。しかし、仕上がりがものすごく「汚い」。この何だか分からない配色の路面が延々と続いているのです。
ほんとにこれで工事完了だとしたら、私は怒るゾ。

▼LA VISTA

VISTAは、ビジネスHでもシティHでもなく、リゾートHタイプなのだそうな、。WEBでちょっと調べでみたのだが、けっこうお値段が高いし、いろんな値段設定がなされている。
あらたなホテル経営の試みだというのだが、果たしてこの寒空の釧路で、リゾートとは?

▼釧路の夜

みなさんご存じか?釧路の夜」は、美川憲一のヒット曲だ。しかし、いつのまにこんなに目立つ「碑」が建てられたのか?
こういう観光客目当ての、バッタものだけは、次々と作られて行くんだね。でもいったいなぜ三角形なんだ?

▼商工会館だったキャッスルホテル

私が釧路に来た時には真っ白い外観で左側の3階建て部分のみだった気がする。その名は「商工会館」だった。
毛綱さんがそれを大改修したから、こんなアンバランスのバランスの建物になってしまった。しかし、思想ある建築家の手が加わると、こんなにも味わい深くなるものか。やはり毛綱さんは偉い。
でも、私の記憶の中では、このビルはいつまでたっても商工会館だ。

▼立派な歩道ができてました。

正面の赤い橋はクスリ橋。
手前の歩道らしき道は、津波対策もかねて元の河畔駐車場を半分つぶして作ったものだ。
1メートルの防波堤をつくり、その上を歩道にした…という話は聞いていた。しかし、一度もその姿を見たことがなかった。
今回初めて歩いてみた。
風が強くて寒くて、風情もなにも無かった。

▼さらにさらに立派な歩道ができてました。

幣舞橋から釧路川の上流を見たところです。この写真を、知らない人が見たら、北欧のベニス、ストックホルムと思うかもしれないね。(そんな人はいないか…)

今回歩いていて初めて気づきました。これはこれは
「とんでもなくリッパ!
な歩道だ。いくらなんでもこれはヤリスギだ。
税金の無駄遣いだと私は思いました。

▼とつぜん北朝鮮の光景が…

今回、3度ほど駅から大学まで歩いてみて、釧路の環境が変化してしまっていることにあらためて気がついた。昨年まで、車を運転し通勤していると、いかに周りを見ていないことか。
ところで、釧路駅前の東急インなるビジネスHの窓から北を眺めて、驚いた。釧路駅のバスターミナルから50メートルの場所がこんなにすさんだ光景とは…
いったい、ここはピョンヤンか?
今回、こんな風にくしろの町に悪口三昧言ってるように見えるだろうが、実は逆なんです。札幌から釧路へ出張授業に来るようになってから、私の釧路に対する気持ちは3ヶ月前とは全く変化してしまっている。
どんなふうに…そして、それはなぜかは…次回で。

               おわり