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                                                               コラム更新日2007/7/5

2007年 今月のコラム 

 7月  


早くも7月。ときおり真夏のような強い日差しを感じる気候となった。
前期の授業が開始されて2ヶ月半を経た。釧路への出張授業には、この間ほぼ毎週出向いた。毎日曜日の午後に釧路へ向かい、月曜日の夜に札幌に戻るスケジュールにもすっかり慣れた。だが、やはり少し疲れが溜まってきている。
あと1ヶ月で夏休みだから、もう少しで小休止ができるだろう。
IWAでは、担当の学生はまだ2年生しかいないから、前期の授業としては実習がひとつしかない。上の写真は実習中の光景です。受講学生は18名、うち男子学生は2名しかいない。
女子大が共学化されたので男子学生が紛れこんできたような、そんな状態にすら思える。これだけ女子学生が多くても、女子高生の集団によくあるような叫声をあげるようなことはほとんど無い。そういう点では、IWAの女子学生たちは淑女だ。
実習室は相当の広さがある。再編完成時には私個人が使える実習室が確定するのだが、まだ再編の途中だから、この実習室を4人の絵画の先生で使い回している。だから、毎回テーブルを出したり片づけたりといろいろと手間がかかるし手狭な感じがある。


7月展

壁際には数点の100号の油絵がある。私にはよくわからないのだが、「7月展」という学生たちの自主的な作品展があるそうだ。
今年は札幌校の3・4・院生とIWAの2・1年生が合同で、札幌の市民ギャラリーを全部使って行うということだ。「作品を見て欲しい」とかいう相談は無い。私の性分からいえば、何か言いたくてしかたないのだが、尋ねられない以上差し出がましいことをしない方が良いだろうと思って黙っている。
でもやはり、まだ高文連の作品の蔭をひきずっているような、暗めで隠微なイメージが残っている作品が多いように感じる。卒業までには何とかこの暗さから抜け出してもらいたいものだ。

キャッスルホテルに泊った(朝)

先日、はじめて釧路のキャッスルホテルに泊った。これまで、大学のイベントの折りに宴会場を使ったことはあったのだが、宿泊したことは一度もなかった。
客室に入って驚いた。壁や床をはじめ黒っぽくそして異様に暗い。もうすこし明るくならないものかとライトのスイッチをさがしてもどこにも見あたらない。一般的なホテルに慣れすぎている人は、たぶん皆とまどってしまうだろう。
ヨーロッパのホテルではどこでも暗いからヨーロピアンスタイルと思えばどうということも無いのだが、普通の日本のホテルを基準にしてる人は不快に感じるかもしれない。
翌朝、細めの窓から差し込む光を受けた自分の顔が、壁付きの鏡に映っているのを見てさらに驚いた。写真家が撮影したポートレートのように、顔に当たる光の状態がものすごくキレイだった。ここまで計算して設計してあるとしたら、やはりモズナさんは凄い人だったと思う。
朝食がバイキングではなくセットで運ばれてくるのは好ましい。この歳になるとバイキングで皿持ってウロツクのが嫌になった。品の良い和食セットは久しぶりに嬉しい朝食だった。ただし朝食時に誰とも会わないほど空いていたのが気がかりだ。駅から一番離れているホテルだから、若干価格が低く抑えられているのだが、稼働状況はよろしくないようだ。

この2ヶ月間に、釧路の4つのホテルに宿泊した。客寄せのサービスが最も行き届いているのは全日空Hだった。日曜日の宿泊は500円引きだし、釧路駅からのタクシー券が着いているから歩かずに済む。着いてからはウエルカムドリンクをどうぞと言われるし、買えば千円のビデオカードもサービスだという。翌朝起きてみるとドアの下には朝刊が…
そこまでしてくれなくていいよと、恐縮してしまうほどのサービスぶりなのだが、このサービスも6月末までだ。7月から9月一杯はオンシーズンでホテルにとっては一番の稼ぎ時だ。値段が3千円もアップするし、おまけサービスもほとんど付かなくなるのです。私はこの期間には、出張旅費の予算ではとても全日空Hに泊ることが出来ないのです。

生活感覚と旅行感覚

海外旅行は楽しい。成田を飛び立った瞬間に背中に羽が生えたように生活感から解放される。
海外の土地に降り立った時には、まったく別世界の空気が肺の中に吸い込まれてくるような気がして、嬉しさで身震いするほどだ。
しかし、1年間ほど海外留学した経験の人たちのほとんどが、異国に暮らす初めの頃の喜びが急に失せる時期があるという。生活を始めて2~3ヶ月が経ったころ、それまでステキだと感じていた街や生活環境が、突如として不快に感じられるようになると言うのだ。たしかに、私自身のこれまでの国内の引越経験の中でも、そういう気持ちになったことがある気がする。
新たな環境に生活することは、最初の頃には新鮮な喜びがある。しかし次第に不快な部分に気づくようになり、そして環境の悪口をぶつくさ言い出すようになる。人間は誰でもそういうものなんだそうな。そこには感情的な大きな変化が関係しているという。つまり、初めの1~2ヶ月間の感覚は旅行者感覚で、その後に生活者感覚に切り替わる時が来るのだという。
生活者感覚で見た際には、気に入らない部分や悪い部分ばかりが目に入って来て嫌悪感が増大する。旅行者感覚で見る場合には、逆に良い部分や情緒的な部分ばかりを感じるそうだ。釧路の「霧」をウットウシイと感じるか、ロマンチックと感じるのかの違いのようなものですね。
前号で、私は「釧路の悪口を言っているわけじゃない」と書いたのだが、それは、私が置かれている立場が「生活者でもあり、しかも旅行者でもある」という、特殊な感覚で釧路の街を見始めているということを言いたかったのです。私の感情の中で、釧路の街の環境を非常に複雑な思いの中で捉えているという状況を写真入りで表現したつもりだったのです。
札幌で寝起きし、岩見沢に通勤して授業し、そして釧路でもホテル泊で授業するという生活を開始してから約3ヶ月。ちょっと入り組んだ生活状況なのだが、これが今後約2年間の、私の生活感覚の基本となるわけだ。3つの街への私の受け止め方の変化を自分なりに客観的に観察してみたいとも思っている

よさこい

6月の札幌は暑すぎず寒すぎず、とても快適な気候だった。よさこいがあるというので覗いてみた。札幌のよさこいをTV以外で見るのは初めてだった。踊りと売店によって大通り公園が埋め尽くされていた。その規模の大きさには、たいそう驚いた。踊りの参加者たちの生き生きした顔つきからは、「祭り」というものが持っている、人間のエネルギーを引き出す力というものが感じられた。
よさこいといえば思い出す。8年ほど前に釧路に新課程を作った際、生涯教育課程学生の共通科目として、よさこいをテーマにした授業を組み入れたことがあった。「学生たちは、きっとおもしろがって取り組んでくれるだろう」というのが、授業開設時の音楽・美術・スポーツの教員たちに共通した思いだった。
しかし、授業としてのよさこいは意に反して、学生たちには極めて不評だった。「何で衣装に1万円もかかるのか」とか「踊りなんかカッタルイ」とか散々たる評価だった。その後、よさこいの授業は、いつのまにか「パラパラ」修得の授業に変化し、その後は「太鼓たたき」の授業へと内容が変化していったような気がする(違うかもしれないが)。
ともかく、よさこいは、自主的に参加した際には良いらしいのだが、どうも強制されると上手くいかないものらしいですね。

これまで、札幌雪祭りには3度ほど行ったことがある。冬の札幌の雪祭りは寒いし、足もとが滑って歩きにくかった。ゾロゾロ人人混みの中を歩きながら、巨大な雪の張りぼてを見るだけだから、もう行かなくてもいいなと考えていた。
今年になって札幌に住むようになってから、実際のところは大通り公園に行く機会もほとんどない。だから、嬉しそうに踊っている人々を、ウラウラとした穏やかな気候の中で眺めるのだったら、一緒に楽しんでも良いかなと思った。来年は、もう少しゆっくり行ってみたいものだ。

芸術セミナー

6月23日に芸術セミナーが行われた。これはIWAの設備や教員紹介もかねたオープンキャンパスの実技講習版といえるものだ。今年で2回目になる。
しかし、驚いたことにこの企画は4月中旬の時点では、運営方法も予算化もほとんど不明確なままだった。仕方ないから、パンフレット印刷から申込受付までをほとんど私が引き受けて準備を進めることになってしまった。何の因果か、なりゆきでそうなってしまったのだが、とても大変だった。
予算がほとんど無いから、パンフレットは昨年のデータに上書し、印刷費が無いから、カラーレーザーを使って、夜なべで手刷りした。WEBを広報のメイン手段に切り替えて、郵送費も削減した。

そんな苦労の末に、なんとか開催したセミナーだったが、当日参加した高校生たちは前向きで熱心でとても気持ちが良かった。
美術コースの「素描」に参加したほとんどの皆さんはIWAの受験を考えているようだった。
半年後・1年半後に目標が見えている人間というものは、とても強い意志力を発揮しうるものだということを改めて感じた。

IWAの現2年生あたりの学生も少し前までは、同じような境遇の中で目をキラキラさせていたものだったろう。しかし、今やそのうちの何割かは目的が見えなくなってしまっているようだ。
人間の意志力は「眼」を見ればだいたい分かってしまう。気力を失って何をしたらよいのか分からなくなってしまいうつろな目つきに変わってしまっている学生も相当数見受けられる。

自分の目標を自らが発見しそれに向かって進んでいけるということは重要な能力である、しかしながらそれは誰にでも備わっている能力ではない。おそらく2~3割の学生にしかそうして前向きな姿勢を維持仕切れないのかも知れない。
セミナーに参加してきた高校生とIWAの2年生の学生とを比較してそんなことを感じた。

              おしまい