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●過去のコラム コラム更新日2005/01/22 | ||
2005年 3月 |
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![]() ■雪がない
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卒制展の期間中は、2月中旬とは思えないほど寒さがゆるんでいた。おかげでほかほかと暖かな気分で出向くことができた。 ■写真の方が良く見える 今年はきっちり撮影した。会場は明るめだったけれど、ストロボ使ったから写真はいたってクリアに撮れていた。 ■会場 この会場は、窓側半分がガラス張りだから、落ち着かない。 ■
全体的雰囲気と、 それに対して今年の会場のイメージは、「軽さ+イージー」かな。 屋外に展示されていた2点の鉄。(F)くんのは構造材むきだしでビルの工事現場、(G)さんのは鉄くずやのスクラップ、サブ展示室の(K)さんは工芸材料店のバーゲンセール。これらの3点は、料理方法を知らないのに適当に作ってしまった無国籍料理といった感じ。素材が剥き出しで生焼けだからどうにもいただけない。 従来型の一般的な油絵展が、スーツとドレスを身につけてちょっと暗めなレストランでコース料理を待っている感じだとすると、この展示会場では、マクドナルドに入って、80円のハンバーガーを食べているときのような感じがした。「お持ち帰りですか?」「いや、食べていく」「ポテトはいかがですか?「いらない、コーラのSつけて」… 。ひとりでテーブル席に座り、壁にくっついている水彩画のような版画のような印刷物を眺めながら、これでお昼ごはんをすましちゃうのは、なんか物足りないけれど…といったような感じ…。 ■問題点の認識 ところで、この文章を、ここまで読んだ人は、ずいぶん酷い(ひどい)言い方してるじゃないのって思われたでしょうね。でも、たぶん彼らは、忠告されなければ解らないだろうから書いたのですね。 ■じゃあ、どうしたら良いのか? いま私たちが考えたり作ったりしているモノ、目指しているモノは「いわゆる美術品」ではなく、「作品」であるということをまず自覚する必要があるのです。この違いを明確にしておかないと話がはじまらない。すでに価値観が確立し、多くの人々の間に共通認識ができあがっているモノが「いわゆる美術品」です。それに対して、作っている自分にもよくわからないんだけれど、こうしたら良いのだろうという何かの意志に動かされて作りたくて作っているモノ、それが「作品」です。「Art
Works」に対して、単なる「Works」にすぎないのです。 昨年・今年のほとんどの卒制作品の材料や手法は、従来の美術品とは異なり、工業生産品や商業品に類するものでしょう。したがって、それらのモノの展示方法は、もはや美術館などにはないはずです。都市の街中のブティックやショップのウインドウに求めるべきでしょう。最近の学生展示を見る際に、どうにも居心地の悪さを感じていましたが、内容と展示方法のミスマッチが、その理由だろうと思います。 ■ まとめ 来年度に向けていま言っておきます。1年前には展示会場は決定し予約し、責任分担を明確にしておくこと。半年前には展示方針とスペースの割ふりをしておくこと。これだけはやっておいた方がよいと思いますではありますが、今年の卒業生も、ソレナリニがんばってやってきたことは認めようではありませんか。(…優柔不断で全方位外交的な、思いやり評価ダナ)
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概して言えることは、男性は皆「肥っちゃって」、女性は皆「痩せちゃって」いたこと。 お世辞ぬきに「痩せたんだ」というと、決まって「そんなことないですよ肥ってますよ」って言う。でも、大学生のころは、女性は皆さん小太りで、男性は痩せ気味なのが通例だから、その頃を基準に考えるからでしょうね。判断基準の差なんでしょうね。 福井先生、頭に包帯することもなく登場。 ■ここでは、参加者との雑談の一こまをチョイスし、 島根から飛行機を乗り継いではるばる訪れてくれた杉本君→久米姓に(「養子にいったのかな」「養子じゃないんだけど、彼女の家が彼女を出さないからって言うから、じゃ行きますってことで。こだわりませんから」と、昔ながらの飄々とした回答でした)。黄色のワーゲンを転がして峠を越えてきてくれたてっちゃん(「うお… 栄養がいいんか…」「圧縮しちゃって横に…」立派な名刺をいただきました)。旭川の道警から警護にきてくれた怪傑君(「鋳物屋やめてケイサツに行ったって聞いたから、監獄に入ったんかと思ったよ」「またまたひどいな、ケイジ目指してますよ」エアガンで大学の壁を穴だらけにして田丸主事に頭下げたのは君らじゃなかったっけ)。大学院中退の小船でチカ釣「コレッ、止めてどこ行っちゃったんだよ」「スイマセ〜ん、謝ろうと思って来たんですよウ」今は岩手の役所で働いてるそうです)。カワモリタサクマコンビは体型まったく変化なし。アベさんはすっきりキレイになってたが性格はまんまのアベさんだった。ミカリンは高校教師独身ですって(「こんないい女になったのに一人なの?」「ネそう思うでしょ」「望みが高すぎるのよ←(ハガ)」。ハガさんは教頭先生になりました(「どんなことが一番大変なの?」「組合相手ッ、それからタバコ吸える場所がないこと」)。いとえり(「職員6名、うち管理職2名で教諭2名しかいないのホントに大変でああだらこうだら…マツたちはどうして来ないのあのひとたちいつもそうなんだから… 」のっけから話が止らない)。ダブル金こ(「親たちが孫にメロメロなんですヨ〜」めろめろなのはあんたら夫婦でしょ、残念))。くどケイちゃん(「地元で公立幼稚園の先生やってます」「ぴったりじゃん」)。教育委員会派遣で札幌校の大学院行ってるはなわくん(「教育大の再編問題、おれ何でも知ってるもんね」「よわったなア〜」) 同窓会気分の一群まで、いろんな思いで集まったひとたちでした。卒業後のブランクなど全く感じることなく、瞬時にアノ頃にワープしてしまいました。
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<註> 福井先生の髪について |
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まず、移動セットに感動した。能の舞台は、大相撲の土俵とおなじで、たった一つのスタイルで行われるから相撲の地方巡業のように、全国どこにでも移動して簡単設営できるように工夫されている。文化会館の大ホールの舞台全部が能舞台に変身していたのには驚いた。しかし、何かヘンなのです。中央の舞台の四隅に人の背丈ほどの柱が4本立っている。まるでロープが無いボクシングのリングみたいなのです。コレはいったい何なのか? 謡と鼓・太鼓・笛やシテなど出演者たちの役割分担のしくみと、演者の「謡」による説明部分と「舞」の部分とによる展開方法には一連のパターンがあることなど、少し見ていただけで分かってきた。私は後半の3時間ぐらいだけ観たのだけれど、1時間ぐらいの長いものや、部分をピックアップしたものなど、短い踊りや休憩も挟んで、11時から4時半まで、けっこう延々と行われていたのだった。 和楽器の音色も、これまでほとんど触れる機会がなかったから新鮮だった。小鼓はいわゆるポンポンだが、大鼓はカーンと甲高い鋭い響きで驚いた。地元の婆さんの、叩いても音が出ない鼓の技などを見ていると、専門家の出す「まともな音」と比較でき、かえって分かりやすかった。 中身が分からないところでは、ウトウトしてしまったが、それもまたよい。奥さん連中は着物姿でめいっぱいお洒落して連れ立って来ている。見ながら小声で隣同士話をしたり、適当に抜けてお茶したりして気楽だった。クラシックのコンサートでは、せき払いひとつできなくて気をつかったりするけれど、それよりズット気さくだ。 内容はあまり分からなかったが、どこか気持がハレバレした。動物園や水族館と一緒にするのはおかしいが、珍しい別の世界を覗いた気がして楽しかった。 一番寒い今の時期、子供たちが相手にしてくれなくなってからは、もうスキーにいったりしない。夏場もキャンプに行くこともなくなったし釣りにも行かなくなった。運動不足で不活発なおじさんおばさんの世界に、私もしっかり突入してしまっている。 思えば、プロ野球を見に行くのも鑑賞活動の一種だろう。そして、美術館へいらしたおば様たちが、内容が理解できなくても楽しそうにお話してたりすることの意味。それらの行為に対して、これまでとは違った見方ができるようになった気がした。 つまり「内容が分からなくても、楽しむことができる」「それなりの面白さがある」ということを、はじめて「能」を見たときの私自身の立場において、そのことが実感できる気がしたのです。 美術の鑑賞教育を考えるようになって十年以上になるけれど、「内容」「意味」「解釈」「理解」といった「いわゆる意味論の世界」を超えた、鑑賞活動の一般論としての拡がりを、もっと考えていくべきだろうナと、屋根が無いなさけない能舞台を見ながらつぶやいた次第です。
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●「能」ってのは、幽霊と会話するつま
●「舞う」というのは、「袖を翻(ひるがえ) |
■次回4月のコラムは、祝卒業大特集だな |
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